個人旅行大好き!村山さんちの家族旅行記!

ツアーを予約して、集団でゾロゾロ海外で観光。帰国して、思い出すことはなんですか? そういえば、何したっけ? そんな経験ありませんか? そうです。添乗員に着いていくのはラクですが、そんなに覚えてないことが多いんです。さらに、 そこは興味ないんだけど^^; ってことないですか? どうせなら、自分が本当に興味あるとこだけ、訪れたいですよね!? そんな方に読んで欲しい、完全個人手配の旅行記です!

美術館訪問記

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フェルメール「真珠の耳飾りの少女」IMG_0490

1.はじめに
 2019年8月17日、マウリッツハイス王立美術館に行ってきた。17世紀オランダ黄金時代の傑作ぞろいと名高い美術館だ。フランスまでは何度も来ていたが、オランダは初めてであった。訪ねた美術館は、デン・ハーグでは、このマウリッツハイス王立美術館、エッシャー美術館、アムステルダムでは、アムステルダム国立博物館、ゴッホ美術館である。
マウリッツハイス王立美術館は、1822年に王立美術館として開館。アムステルダム国立博物館と並びオランダを代表する美術館。17世紀建造の美しい建物内にフランドル絵画の名作が揃う。日本でも有名なフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」や「デルフトの眺望」、レンブラントの「テュルプ博士の解剖学講義」などオランダ黄金時代の至宝の数々を鑑賞できる。


【マウリッツハイス王立美術館外観】
外観IMG_0489


2.チケット予約など
【美術館名】マウリッツハイス王立美術館
      The Royal Picture Gallery Mauritshuis )
【所在地】 Plein 29 2511 CS Den Haag オランダ
【最寄り駅】デン・ハーグ中央駅(徒歩10~15分くらい)
【チケット】できれば事前購入しておいた方が安心
  入場料 (2019年10月現在)
  大人 15.5ユーロ
  19歳未満 無料
  日本語マルチメディアガイド 3.5ユーロ

  マウリッツハイス王立美術館公式ホームページ

ホームページには、886点(2019年10月現在)の収蔵作品が高解像度で撮影され、拡大しても細部まで見られます。

【入場券と館内案内図】
入場券とカタログIMG_0887

【豪華な館内】
館内IMG_0514

3.作品
ヨハネス・フェルメール
(Johannes Vermeer  1632年10月-1675年12月)
バロック期を代表するオランダの画家。レンブラントと並ぶ17世紀オランダ黄金時代の代表画家である。 窓からやさしく差し込む光と、反射して輝くところを明るい絵具の点で表現する技法が特徴的。

【フェルメール「真珠の耳飾りの少女」】
フェルメール「真珠の耳飾りの少女」IMG_0490
ヨハネス・フェルメール「真珠の耳飾りの少女」Johannes Vermeer, Girl with a Pearl Earring, c. 1665

 この作品はフェルメールの最も有名な絵画。光を巧みに操る達人で、少女の顔の柔らかさと、彼女の湿った唇のかすかな光がそのことを表している。輝く真珠の光も微妙なニュアンスで見入ってしまう。
また、ターバンの鮮やかな青は「フェルメール・ブルー」と呼ばれている。ラピスラズリという天然石
に含まれる成分から、このウルトラマリン色の顔料が作られる。

【館内風景】
館内IMG_0492

 館内は空いているので、上記の展示風景のようにゆっくり、間近で鑑賞することができる。


■ レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン
(Rembrandt Harmenszoon van Rijn 1606年7月15日-1669年10月4日)

 バロック期を代表するオランダの画家。光と影を巧みに構成して若かくして成功を収めているが、
その晩年は浪費癖もあり困窮している。

レンブラント「自画像」
レンブラント「自画像」IMG_0499
レンブラント・ファン・レイン「自画像」Rembrandt van Rijn, Self-Portrait, 1669

 多くの自画像を残しているが、この有名な作品は最晩年のもの。この作品の厚い絵の具の層は、さまざまな人生の出来事を塗りこめてあるようだ。レンブラントの最後の作品かも知れないと言われている。


【レンブラント「テュルプ博士の解剖学講義」】
レンブラント「解剖学」IMG_0493
レンブラント・ファン・レイン「テュルプ博士の解剖学講義」
Rembrandt van Rijn, The Anatomy Lesson of Dr Nicolaes Tulp, 1632

 この絵画はレンブラントが25歳のときテュルプ博士から依頼を受けて制作した。外科医を中心に三角形の構図になっている。周りの人々は医師や医学生ではなく名士を描いている。彼らの視線がバラバラであり、いろいろ議論されている。実物そっくりの卓越した肖像画で偉大な才能を示している。


【レンブラント「笑う男」】
レンブラント「笑う男」IMG_0498
レンブラント・ファン・レイン「笑う男」
Rembrandt van Rijn, The Laughing Man, c. 1629 - 1630

 若い時期の作品で、目を輝かせて曲がった歯をむき出しにして笑っている。筆使いは屈託なく自由に描いている。


【レンブラント「羽をつけたベレー帽の男の顔」】
レンブラント「羽の着いたついた帽子の男」IMG_0495
レンブラント・ファン・レイン「羽をつけたベレー帽の男の顔」
Rembrandt van Rijn, 'Tronie' of a Man with a Feathered Beret, c. 1635 - 1640

 羽毛のベレー帽と金の刺繍が施されたマントを着ている兵士。光は顔に明るく落ちており、金属の防具に美しい光沢を投げかけています。光と影の調和が、その空間の雰囲気を醸し出している。


【レンブラント「休息中の旅人」】
レンブラント「休息中の旅人」IMG_0501
レンブラント・ファン・レイン「休息中の旅人」
Details: Rembrandt van Rijn, Travellers Resting (The Rest on the Flight into Egypt?), c. 1629 - 1630

 建物の影になった所からからの明るい光は、演劇の舞台を思わせる劇的な効果を生み出している。
レンブラントは聖書を題材としている場面を描いているが、この絵もそうだろうか?


【レンブラント「シメオンの賛歌」】
レンブラント「メシオンの賛歌」IMG_0497
レンブラント・ファン・レイン「シメオンの賛歌」
Rembrandt van Rijn, Simeon's Song of Praise, 1631

 シメオンからあふれる神聖な光は、イエス自身から輝いているように見える。レンブラントがこのシーンを描いたときは25歳であった。


ジャン・シメオン・シャルダン
(Jean-Baptiste Siméon Chardin, 1699年11月2日 - 1779年12月6日)
フランスの画家。 中産階級のつましい生活感のある静物画の作品が知られている。台所の食器類や食材などを題材とする素朴な画風。 題材や写実表現など、17世紀オランダ絵画の影響が顕著に見られる。


【シャルダン「銅鍋、チーズ、卵のある静物」】
シャルダン「銅鍋チズ卵」IMG_0504
ジャン・シメオン・シャルダン「銅鍋、チーズ、卵のある静物」
Jean-Baptiste-Siméon Chardin, Still Life with Copper Pot, Cheese and Eggs, c. 1730 - 1735

 この作品は17世紀のオランダの静物のように見えるが、18世紀にパリの画家シャルダンによって描かれている。彼は、大きな銅鍋、2つの陶器製のすり鉢、チーズ、卵など、日常的なものを組み立てて、柔らかな光の中に配置しいる。特に、銅鍋の温かい素朴な質感は、ほのぼのとさせる。


ジェラルド・テル・ボルチ
(Gerard ter Borch 1617年 - 1681年12月8日)
バロック期のオランダ画家。17世紀のオランダで裕福で中流階級の生活の雰囲気を忠実に再現した画家。
【ジェラルド・テル・ボルチ「手紙を書く女性」】
ジェラード「手紙を書く女」IMG_0491
ジェラルド・テル・ボルチ「手紙を書く女性」
Gerard ter Borch, Woman Writing a Letter, c. 1655

 手紙を書いているこの女性は、フェルメールのような感じの作品。
女性はテーブルに座って、高価な東洋のテーブルクロスを押し上げ、手紙書いている、中流階級の生活の雰囲気が分かる。


ピーテル・パウル・ルーベンス
(Peter Paul Rubens1577年6月28日 - 1640年5月30日)
 バロック期のフランドルの画家。ルーベンスは大規模な工房を持ち、歴史画、肖像画、風景画など多数の作品を残している。また、外交官としても活躍している多彩な画家。

【ルーベンス「老女とろうそくの少年」】
ルーベンス「老婆とろうそくの少年」IMG_0511
ピーテル・パウル・ルーベンス「老女とろうそくの少年」
Peter Paul Rubens, Old Woman and Boy with Candles, c. 1616 - 1617

 老女は、ろうそくの光から目をそらし、ろうそくに手をかざしている。背後の少年は、ろうそくを持って火をつけようとしている。この発想はルーベンスがカラヴァッジョの作品をみて描いたと言われている。


ピーター・ファン・アンラート
(Pieter van Anraedt  c.1635 – 13 April 1678)
オランダの黄金時代の画家。この画家は、ジェラルド・テル・ボルチの影響を受けている。

【ピーター・ファン・アンラート「土器の水差しと粘土パイプのある静物」】
ピーターアンラード土器の水入れIMG_0509
ピーター・ファン・アンラート「土器の水差しと粘土パイプのある静物」
Pieter van Anraadt, Still Life with Earthenware Jug and Clay Pipes, 1658

 この静物画は、アンラートの知られている作品はすべて肖像画であるため珍しい作品。
彼はこの絵を描いたとき、若かったが、土器の水差し、グラス、タバコとパイプなど、各素材の質感を素晴らしく描いている。左から入る柔らかな光は、各静物の立体感をだしている。



ウィレム・カルフ
(Willem Kalf, 1619年-1693年)
 17世紀後半に活躍したオランダの静物画家。初期の素朴な作品から、次第に華美な静物画へを描く。

【カルフ「シルバープレートにフルーツとワイングラスのある静物」】
カルフ「フルーツとワイングラス」IMG_0502
ウィレム・カルフ「シルバープレートにフルーツとワイングラスのある静物」
Willem Kalf, Still Life with Fruit and Wineglasses on a Silver Plate, c. 1659 - 1660

 グラスの質感をはじめ、果物、布、金属類の存在感ある描写は目を引く。豪華な高級感ある作品に
なっている。


ピーテル・クラース
(Pieter Claesz, 1597年頃 - 1660年1月1日)
オランダ黄金時代に活躍した画家。

【ピーテル・クラース「グラスのある静物」】
ピータークラウス「グラスのある静物」IMG_0519
ピーテル・クラース「グラスのある静物」
Pieter Claesz, Still Life with Tazza, 1636
 思わず近寄って見て目を凝らしたくなるほど、各素材が描きこまれている。また、単色に近い画面は
優しい雰囲気を醸し出している。

【ピーテル・クラース「ろうそくのある静物」】
ピータークラウス「ろうそくのある静物」IMG_0521
ピーテル・クラース「ろうそくのある静物」
Pieter Claesz、ろうそくのある静物、1627
 色数を制限しモノトーンに近い色彩で描く静物画を専門としている。
ろうそく足の真鍮、グラスのワインなど、さまざまな素材の質感を完全に表現している。また、ろうそくの光と反射、影の描写は見事だ。


ハンス・ホルバイン
(Hans Holbein, 1497年/1498年 - 1543年)
ルネサンス期の画家。ドイツの画家ハンス・ホルバインは、イギリスに永住し、傑作を残している。

【ハンス・ホルバイン「ロバート・ チェズマンの肖像」】
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ハンス・ホルバイン「ロバート・ チェズマンの肖像」

 驚くべき絵画技法は、男の意図的な視線、光沢のあるサテン、真鍮の鈴などに見られる。

<了>

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ひまわりvangoghmuseum-s0031V1962-800
 2019年8月15日アムステルダムのゴッホ美術館を訪れた。ゴッホを知ってから50年の歳月が流れていた。
 ゴッホとの初めての出会いは、中学生の頃、滝沢修主演の「炎の人ゴッホ」の舞台をテレビ中継で見たときだ。舞台では、寝食を忘れ、狂人のごとく没頭して絵を描く姿は鮮烈であった。「絵画に人生の全てをつぎ込む」ということは中学生の私には強烈な興味をもたらした。
 小林秀雄翻訳の「ゴッホの手紙」3巻を夢中になって読んだのを覚えている。テオへの手紙の中では、描いた絵のことを延々と語ったり、また、送金を受けた金で購入した画材の細かい明細の記述など、人間ゴッホに出会えるものだった。
 以来、日本での展覧会で部分的にしか作品を見られなかったが、今回訪れたゴッホ美術館は、ゴッホの作品や生涯の全容を見、知ることができ大きな喜びだった。画集と違い間近でマチエールを確認でき、絵の具の量、つやを明確に体感できた。
ぜひ、機会があれば訪れて頂きたい美術館だ。

注意事項:ゴッホ美術館は撮影禁止のため、当ブログに掲載する作品は全てゴッホ美術館公式ホームページより、利用規約に則り掲載しています。また、文章のなかに、ゴッホ美術館の解説を引用していますが、解説の一部であったり、誤訳の可能性もあります。正確には原文の参照をお願いします。なお、引用部分は青字で記載しています。


【ゴッホ美術館外観 黒川紀章が設計】
美術館外観_0360
【所在地】
 Museumplein 6, 1071 DJ Amsterdam, オランダ
アムステルダム国立美術館や市立近代美術館が集まるミュージアム広場に面している。

【チケット予約】
ゴッホ美術館はチケット予約が必須。下記アドレスから簡単に予約できる。(日本語選択あり)
    ➡ チケット予約
なお、予約と同時に、マルチメディアガイド利用の有無(5ユーロ)と寄付金の有無の選択がある。

【入場料】
大人19ユーロ、18歳未満無料(2019年10現在)

【日本語マルチメディアガイド】
多数の作品の丁寧な解説が聞けるのでお勧め。(5ユーロ)

【事前下調べ】
    ➡ ゴッホ美術館公式ホームページ
所蔵作品の解説はもちろん、ゴッホの生涯、関連する情報が満載。(日本語なし)

【ゴッホ美術館館内風景】
館内_8356

【ゴッホ美術館ショップ】
ゴッホ美術館ショップIMG_8357


【ゴッホ美術館フロアマップ】
ゴッホ美術館プロアマップIMG_0886


3.時代順作品
 ゴッホはおよそ840点の油絵をその生涯に残したといわれている。そのうち、ゴッホ美術館には油絵が約200点強所蔵されている。世界最大の所蔵量を誇る美術館である。
このブログでは、その中からぜひ見て頂きたい作品60点を厳選(私選)し時代順に掲載している。

 フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh、1853年3月30日生、1890年7月29日没)は、オランダ南部のズンデルトで生まれた。父親はプロテスタントの牧師であり、付近の貧しい農家と異なり宗教やその他の教育を受けている。
小学、中学生時代は、ゴッホ美術館の解説では、「小学校時代は、時々絵を描いたが、特別な芸術的才能の兆候はまだほとんどなかった。中等学校に進学し、そこで特に言語に関して良い成績を収めた」とある。
16才の時、画商のグーピル商会に勤務する。ハーグ、ロンドン支店勤務。このロンドンで、大英博物館や国立美術館を見ており、ゴッホの絵画に強い影響を与えるフランソワ・ミレーの絵に接し感激している。また、弟テオとの文通も始まっている。
1876年にグーピル商会を解任される。その後、イギリスで教師、オランダで書店員などを短期間している。その後、神学部の受験を目指すが、あまりにも科目数が多く、挫折してしまう。勉強するより、周辺の田園地帯で長い散歩をすることを好んだらしい。
それでも、神に仕えることを熱望し、ボリナージュ鉱山地域で説教者として、病人を訪問し、聖書の朗読をする。

 ゴッホは、ボリナージュの鉱山労働者とその家族の間で生活し、貧困の中にいました。 彼は床で寝て、持ち物を分け与えました。 彼の献身は、「炭鉱のキリスト」と呼ばれるほどでした。
「そこは陰鬱な場所であり、一見するとそれの周りのすべてのものは、悲惨で死んだようなものだ。
 そこにいる労働者の大部分は、発熱のために体重が減り衰弱し青ざめた人々であり、疲れ果ててやせこけている。」 ---ゴッホ美術館の解説より。


 伝道活動を行うなかで、テオの助言もあって画家としても神に仕えることもできると確信し画家を目指すことを決意する。
彼は1880年10月にブリュッセルに移り、そこで絵画技法の勉強にとりかかることになる。


【ボリナージュのコークス工場】
コークス工場vangoghmuseum-d0370V1962-800
Coke Factory in the Borinage、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、1879年7月-8月
鉛筆、水彩、紙、26.4 cm x 37.5 cm
F-numberF1040、JH-numberJH0100、Object numberd0370V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)



【フランスの農民の授乳(ダロウを模して)】
フランス農民の授乳vangoghmuseum-d0061V1962-800
French Peasant Woman Suckling Her Baby (after Dalou)、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ブリュッセル、1880年-1881年春
紙に鉛筆、48.3 cm x 26.4 cm
F-numberF1673、JH-numberJHc.b.、Object numberd0061V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)


1881年【オランダ時代】エッテン、ハーグ、ニーウ・アムステルダム、ヌエネン

 1881年の春、経済的理由でゴッホは両親と再び暮らし、農夫や田園風景を描いていたが、両親は長男が画家の道を選んだことに、非常に失望していた。また、その頃、従妹の未亡人に求婚し、拒絶されている。家族関係は上手くゆかず、父親との口論の末、エッテンからハーグに転居した。
この時期から弟のテオはゴッホへ経済的支援を始めている。
ハーグでは親戚関係にある画家アントン・モーヴから絵画技法の教育を受けている。この頃、子連れで妊娠中の売春婦シーンと生活をしていたが、弟テオからも反対される。シーンと離別後、ドレンテの田園地帯に向かい、荒れ地と泥炭の風景を描いている。ミレーへの憧れを思わせる作品である。
1884年、ゴッホは父親が移り住んでいたヌエネンに帰り、ここで2年間過ごす。農夫のほか織機や、織工などをモチーフにしている。
この時期、ゴッホはテオに、「送られたお金と引き換えに、自分の作品の所有者になる」ことを提案している。そして、ヌエネン時代の傑作が誕生する。人物画の集大成として、本格的なタブローとして「ジャガイモを食べる人々』を完成させる。しかし、デッサンの正確性や色調のが暗さで評判は良くなかった。
 オランダ時代の絵画の色調は全体に暗く、印象派の明るい色彩とは全く異なる。バルビゾン派のミレーを思わせるテーマと色調だ。この時代、素描を多数残している。特にアカデミックな教育を受けずに独学だが、その素描力は秀でている。


1881年:両親のいるエッテンに戻り画家としての生活をはじめる。


【種まき(ミレーを模して)】
種まく人(ミレーを模して)vangoghmuseum-d0443V1962-800
The Sower (after Millet)、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、エッテン、1881年4月
鉛筆、ペン、ブラシ、インク、水彩、紙、48.1 cm x 36.7 cm
F-numberF0830、JH-numberJH0001、Object numberd0443V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホが大いに賞賛した画家ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)の「種をまく人」を模して制作したもの。ゴッホは種まきを人生のサイクルの象徴、「成長」、「繁栄」、「収穫」とみなした。


【キャベツと木靴のある静物】
キャベツと木靴のある静物vangoghmuseum-s0137V1962-800
Still Life with Cabbage and Clogs、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ハーグ、1881年11月-12月
パネルの紙に油彩、34 cm x 55 cm
F-numberF0001、JH-numberJH0081、Object numbers0137V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

「モーヴはいくつかの古い木靴や他の物で構成される静物を置いてくれたので、制作に取り掛かることができた」とゴッホは弟のテオに書いている。アントン・モーヴとは、当時有名な画家であり、ゴッホの従兄である。ゴッホはモーヴのアトリエで3週間を過ごし、油絵と水彩画の手ほどきを受けた。美術学生のような習作。


1882年:父親と口論となり家を出でハーグ、ニーウアムステルダムと移り住む


【杖を持つショールの老婆】
杖を持つショールの老婆vangoghmuseum-d0174V1967-800
Old Woman with a Shawl and a Walking Stick、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ハーグ、1882年3月
鉛筆、ペン、インク、水彩、紙、57.4 cm x 32.0 cm
F-numberF0913、JH-numberJH0109、Object numberd0174V1967
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

見事な描写力。両足にかかる体重のバランスと姿勢を正確にとらえている。


【刈り込んだ柳】
刈り込んだ柳vangoghmuseum-d1172S2012-800
Pollard Willow、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ハーグ、1882年7月
鉛筆、茶色のインク、水彩、チョーク、紙の上、38 cm x 55.8 cm
F-numberF0947、JH-numberJH0164、Object numberd1172S2012
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (purchased with support from the BankGiro Loterij, the Vincent van Gogh Foundation,
the Rembrandt Association and her Prints and Drawings Fund, the Mondriaan Fund and the VSB Foundation)

ハーグのゴッホの家の周りの散歩場所であった場所。枯れた柳の木を中心に、遠景に駅舎、機関車。そして陰鬱な空。悲観的な風景画。


【老人】
老人vangoghmuseum-d0378V1962-800
Worn Out、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ハーグ、1882年11月
紙に鉛筆、50.4 cm x 31.6 cm
F-numberF0997、JH-numberJH0267、Object numberd0378V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホは、ハーグで多くの人物を描き、そこで人間のプロポーション、ポーズ、表情を表現する練習をした。頭を抱えるポーズは、顔の表情まで分かる的確な描写。


【婦人の頭部】
婦人の頭部vangoghmuseum-d0203V1962-800
Head of a Woman、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ハーグ、1882年12月-1883年1月
鉛筆、石版クレヨン、紙、47.6 cm x 26.3 cm
F-numberF0931、JH-numberJH0291、Object numberd0203V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

頭巾をかぶった横向きの婦人デッサン。人物の表情が良く描かれ、その性格まで分かるような描写。


【シルクハットの老人】
シルクハットの老人vangoghmuseum-d0183V1962-800
Old Man with a Top Hat、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ハーグ、1882年12月-1883年1月
鉛筆、石版クレヨン、ペンとブラシ、インク、紙、60.0 cm x 36.0 cm
F-numberF0985、JH-numberJH0286、Object numberd0183V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホは労働者階級の外観を持つ人物を好んで描いた。 顔や表情の描写を部分的に練習している。


1883年:ニーウアムステルダムへ移住


【荒れ地の2人の女性】
荒れ地の二人の女性vangoghmuseum-s0129V1962-800
Women on the Peat Moor、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ニーウアムステルダム、1883年10月
キャンバスに油彩、27.8 cm x 36.5 cm
F-numberF0019、JH-numberJH0409、Object numbers0129V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホは、オランダのニーウアムステルダムのドレンテ村で、この農民の女性を描きました。 彼は1883年の秋に2か月間そこで過ごしています。女性たちは働いており、おそらく枯れた芝を集めています。 ゴッホは田舎の素朴な生活に魅了されました。 ゴッホは「農民の生活のすべてを描く」ために2年以上を費やした、と書いています。なお、調査によると初めは4人を描いたことが分かりました。 ---ゴッホ美術館の解説より。
ジャン=フランソワ・ミレーを彷彿とさせる感じで、空気感を共有できる。


【農場】
農場vangoghmuseum-s0053V1962-800
Cottages、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ニーウアムステルダム、1883年9月-11月
キャンバスに油彩、35.4 cm x 55.7 cm
F-numberF0017、JH-numberJH0395、Object numbers0053V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

暗い前景と明るい空のコントラストが、ずっしりと存在感を感じさせる。


1884年:両親のいるヌエネンに戻る。


【織機】
織機vangoghmuseum-d0423V1962-800
Weaver、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1883年12月-1884年8月
鉛筆、水彩、ペンとインク、紙、35.5 cm x 44.6 cm
F-numberF1115、JH-numberJH0502、Object numberd0423V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ヌエネン時代の代表作の一つ。水彩画とインクで描かれたものを含め、16作品制作した。


【ヌエネンのカルバン派教会を後にする群衆】
ヌエネンのカルバン派教会を後にする群衆-s0003V1962-800
Congregation Leaving the Reformed Church in Nuenen、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1884年1月-2月、1885年秋
キャンバスに油彩、41.5 cm x 32.2 cm
F-numberF0025、JH-numberJH0521、Object numbers0003V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホは母親を元気づけるために、この小さな絵を母親のために制作しました。母親は足を骨折し寝たきり生活でした。ゴッホの父親が牧師だったヌエネンの教会を描いています。この作品はゴッホが両親に贈った最初の絵でした。この作品は、何年も行方不明でしたが、2016年に発見されました。
深刻な損傷がありましたが、修復作業により、絵画が美術館に戻ってきました。---ゴッホ美術館の解説より。

なお、ゴッホ美術館のホームページでは、その修復作業のビデオを見ることができます。


【野菜と果物のある静物】
野菜と果物のある静物vangoghmuseum-s0070V1962-800
Still Life with Vegetables and Fruit、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1884年秋
キャンバスに油彩、32.3 cm x 43.2 cm
F-numberF0103、JH-numberJH0928、Object numbers0070V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)


【女性の顔】
女性の顔vangoghmuseum-s0072V1962-800
Head of a Woman、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1884年11月-1885年1月
キャンバスに油彩、42.0 cm x 33.3 cm
F-numberF0156、JH-numberJH0569、Object numbers0072V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ヌエネン時代は、人物画の画家になりたいと、人物の油絵やスケッチを相当量を制作してる。いづれも農場労働者の厳しい生活をテーマとしている。(美術史上当時は、人物画は、風景画や静物画などよりも難易度が高くより高級なものと考えられていた)


【女性の顔(ペン)】
女性の顔(ペン)vangoghmuseum-d0271V1969r-800
Head of a Woman、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1884年12月-1885年1月
ペンとブラシとインク、紙の上、12.4 cm x 7.9 cm
F-numberF1150r、JH-numberJH0575、Object numberd0271V1969r
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)


【若い男の顔】
若い男の顔vangoghmuseum-d0368V1962-800
Head of a Young Man、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1884年12月-1885年5月
紙に鉛筆、34.7 cm x 21.6 cm
F-numberF1145、JH-numberJH0581、Object numberd0368V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)


【棒を持つ手(デッサン)】
棒をもつて手(デッサン)vangoghmuseum-d0390V1962v-800
Hands with a Stick、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1884年12月-1885年5月
紙にチョーク、34.7 cm x 42.4 cm
F-numberF1168v、JH-numberJH0664、Object numberd0390V1962v
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)


【両手と両腕(デッサン)】
両手両腕vangoghmuseum-d0392V1962-800
Two Hands and Two Arms、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1884年12月-1885年5月
紙にチョーク、21.3 cm x 34.5 cm
F-numberF1155、JH-numberJH0744、Object numberd0392V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)


【女性の顔】
女性の顔vangoghmuseum-d0362V1962-800
Head of a Woman、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1884年12月-1885年5月
紙にチョーク、40.2 cm x 33.3 cm
F-numberF1182、JH-numberJH0590、Object numberd0362V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

この農民の表情はなんと素晴らしいか。ゴッホ美術館の解説にあるように、「原始的」で洗練されていない田舎の生活を大切にし、彼らに勤勉と貧困を伝える鋭い顔を描いた。とある。


【頭巾をかぶった女性】
頭巾をかぶった女性vangoghmuseum-d0267V1971-800
Head of a Woman、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1884年12月-1885年1月
鉛筆、ペン、ブラシ、インク、紙、15.8 cm x 10.4 cm
F-numberF1171、JH-numberJH0570、Object numberd0267V1971
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)



1885年:ヌエネン。代表作の一つ「ジャガイモを食べる人々」を制作する


【喪服のショールをかぶった女性】
喪服のショールをかぶった女性vangoghmuseum-s0058V1962-800
Woman with a Mourning Shawl、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1885年3月-5月
キャンバスに油彩、45.5 cm x 33.0 cm
F-numberF0161、JH-numberJH0788、Object numbers0058V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)


【ジャガイモを食べる人々】
ジャガイモを食べる人々vangoghmuseum-s0005V1962-800
The Potato Eaters、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1885年4月-5月
キャンバスに油彩、82 cm x 114 cm
F-numberF0082、JH-numberJH0764、Object numbers0005V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホの最も有名な作品の1つ。農民の素朴な表情、ゴツゴツした手。暗いランプの元、ジャガイモとコーヒーだけの粗末な食事。ゴッホが伝えたい、貧困と勤勉、そして労働の喜びが見事に伝わってくる。しかし、当時は、画面は非常に暗くデッサンや画法的に問題が多いと、かなりの批判を浴びた。珍しい事に最大の理解者テオも苦言を呈した、とある。


【ジャガイモを掘り出す女性】
ジャガイモを掘り出す女性vangoghmuseum-s0452S1995-800
Woman Lifting Potatoes、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1885年7-8月
パネルのキャンバスに油彩、41.8 cm x 32.5 cm
F-numberF0147、JH-numberJH0891、Object numbers0452S1995
CreditsVan Gogh Museum, Amsterdam (bequest of Dr. M. Rehfisch)


【真鍮の釜と水差しのある静物】
真鍮の大釜と水差しの静物vangoghmuseum-s0052V1962-800
Still Life with Brass Cauldron and Jug、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1885年9月
キャンバスに油彩、65.5 cm x 80.5 cm
F-numberF0051、JH-numberJH0925、Object numbers0052V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)


【陶器と瓶のある静物】
陶器と瓶のある静物vangoghmuseum-s0138V1962-800
Still Life with Earthenware and Bottles、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1885年9月-10月
キャンバスに油彩、40.1 cm x 56.3 cm
F-numberF0053、JH-numberJH0538、Object numbers0138V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

この静物は、おそらくゴッホの家庭で使用されていた日常の小物で構成されています。 1885年、ゴッホは両親とヌエネンで暮らし、そこでこの絵を描きました。X線画像調査で、この絵の下に、女性を描いていたことが分かりました。この静物画の背景は、3本の瓶とほぼ同じ色です。 ゴッホは白い絵の具を使用して、瓶に軽いアクセントを加えました。 これにより、背景から目立つようになりました。 ---ゴッホ美術館の解説より。


【ジャガイモのかご】
ジャガイモのかごvangoghmuseum-s0153V1962-800
Basket of Potatoes、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1885年9月
キャンバスに油彩、45.0 cm x 60.5 cm
F-numberF0100、JH-numberJH0931、Object numbers0153V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

恐らく50個以上のジャガイモ。単一な色彩のなかで見るものを飽きさせないのは何故だろう。


【聖書のある静物】
聖書のある静物vangoghmuseum-s0008V1962-800
Still Life with Bible、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1885年10月
キャンバスに油彩、65.7 cm x 78.5 cm
F-numberF0117、JH-numberJH0946、Object numbers0008V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

この大きな聖書は、プロテスタントの牧師であるゴッホの父親のものでした。 ゴッホは父親が亡くなった直後にそれを描きました。 彼はエミール・ゾラの「生きる歓び」の本をその隣に置いています。 その本は現代生活にとって一種の「聖書」でした。 この本は、ゴッホと彼の父親の世界観を象徴しています。 ---ゴッホ美術館の解説より。


【アムステルダムのDe Ruijterkade】
アムステルダムのルイターカデvangoghmuseum-s0085V1962-800
The De Ruijterkade in Amsterdam、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、アムステルダム、1885年10月
パネルに油彩、20.5 cm x 27.1 cm
F-numberF0211、JH-numberJH0973、Object numbers0085V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)




 1885年11月、ゴッホはベルギーのアントワープに移り、美術館や教会を訪れている。また、フェルナン・コルモンの画塾で静物画や石膏デッサンをしている。この画塾には、ロートレック、スーチン、藤島武二なども通っている。
この頃から、ゴッホの手紙に頻繁にでてくる、アブサン(ニガヨモギを原料とするリキュール)を飲むようになる。

アントワープからパリへ
 1886年2月末にはパリ(弟テオの部屋)に移り住んだ。パリではジャポネズリー、点描画などの影響を受け、働く農夫の代わりに明るい都会風なモチーフ(カフェや大通り、セーヌ川沿いの風景、花の静物画など)を描くようになる。色彩もタッチも軽やかになっている。パリ時代では、補色(例:赤と緑、黄色と紫など)を隣に置き、色彩を強調したり、点描のように、色をできるだけ混ぜないで、隣に置き光による混合、加算混合を多く試し、研究している。ゴッホ美術館の出口付近に毛糸玉の入った箱が展示されているが、これは、毛糸の色を組み合わせて、その効果を研究したものだ。
 また、この頃、多くの浮世絵を購入し、強い輪郭、大胆な構図、色のコントラストなどの影響も受けている。
画家たちとの交流関係では、ベルナール、ロートレック、ゴーギャンでありこの影響も忘れてならない。なお、この年、最終回となる第8回の印象派展がパリで開かれている。


【石切場のあるモンマルトルの丘】
石切り場のあるモンマルトルの丘vangoghmuseum-s0012V1962-800
The Hill of Montmartre with Stone Quarry、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1886年6月-7月
キャンバスに油彩、56.3 cm x 62.6 cm
F-numberF0230、JH-numberJH1177、Object numbers0012V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

モンマルトルは、画家が多く住んでいたことで有名だが、ゴッホの時代にはすでにそうであった。


【自画像(パイプをくわえたもの)】
自画像(パイプをくわえたもの)vangoghmuseum-s0158V1962-800
Self-Portrait with Pipe、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1886年9月-11月
キャンバスに油彩、46.0 cm x 38.0 cm
F-numberF0180、JH-numberJH1194、Object numbers0158V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホは多数の自画像を描いており、パリだけでも20作以上ありました。肖像画芸術を極めるには自画像を制作することだと考えました。表情、色、形をさまざまにして実験しました。パリで、ゴッホはアドルフ・モンティセリ(1824-1886)の作品を見て、この画家をその豊かな色彩と濃厚なマチエールを賞賛しました。この自画像では、ゴッホは色と光の効果に対するモンティセリの画法を試しました。彼の顔の淡い色調は、暖かくて濃い赤の背景に対してはっきりと目立っています。---ゴッホ美術館の解説より。


【1足の靴】
一足の靴vangoghmuseum-s0011V1962-800
Shoes、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1886年9月-11月
キャンバスに油彩、38.1 cm x 45.3 cm
F-numberF0255、JH-numberJH1124、Object numbers0011V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

高校時代この絵と同じような革靴の油絵を描いたことがあった。絵の具を盛り上げ、ゴッホの作品のような革の質感をだそうとしたが、やりすぎて野獣派の作品になってしまったのを昨日のように思い出す。



1887年:パリ



【アゴスティーナ・セガトーリの肖像】
アゴスティーナの肖像vangoghmuseum-s0093V1962-800
Portrait of Agostina Segatori、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1887年1月-2月
キャンバスに油彩、27.2 cm x 22.0 cm
F-numberF0215b、JH-numberJH1205、Object numbers0093V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

セガトーリは、1841年頃イタリアで生まれ、ナポリで生活していたが、1860年頃までにパリに移った。ここで、ジャン=レオン・ジェローム、ジャン=バティスト・カミーユ・コロー、エドゥアール・マネといった著名な画家のモデルとなっている。パトロンを見つけ、1885年にカフェ・タンブランを開業した。ゴッホは、この店をよく訪れ、自分の作品を持って行って店内に展示してもらったこともある。一時はセガトーリと交際関係にあったとも言われるが、確実なことは分かっていない。  ---Wikipediaより。


【クロッカスのかごのある静物】
クロッカスのかごのある静物vangoghmuseum-s0179V1962-800
Basket of Crocus Bulbs、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1887年1-2月
キャンバスに油彩、32.5 cm x 41.2 cm
F-numberF0334、JH-numberJH1228、Object numbers0179V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)


【カフェで:ル・タンブランのアゴスティーナ・セガトーリ】
カフェタンブランの女vangoghmuseum-s0017V1962-800
In the Cafe: Agostina Segatori in Le Tambourin、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1887年1月から3月
キャンバスに油彩、55.5 cm x 47 cm
F-numberF0370、JH-numberJH1208、Object numbers0017V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

アゴスティーナ・セガトーリは、カフェ・ル・タンブランのオーナーでした。彼女はゴッホと一時、交際関係を持っていました。テーブルの上にビールのグラスがあり、アゴスティーナは火のついたタバコを持っています。テーブルの上のグラスの下にある受け皿は、彼女が2番目のビールを飲んでいるという事実を物語っています。カフェでの飲酒と喫煙は、淑女には適していません。その生き方は芸術的なタイプと売春婦に見られます。ゴッホはカフェで展覧会を開催しています。また、カフェで日本の版画のコレクションを販売していました。この肖像画の背景には日本の版画が見られます。彼は展覧会の間にアゴスティーナを描いたかもしれません。 ---ゴッホ美術館の解説より。


【クリシー大通り】
クリシー大通vangoghmuseum-s0094V1962-800
Boulevard de Clichy、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1887年3月-4月
キャンバスに油彩、46 cm x 55.5 cm
F-numberF0292、JH-numberJH1219、Object numbers0094V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

クリシー通りは、多くの画家が住んでいたモンマルトルの主要な通りの1つです。ゴッホは、しばしば交差する道路の街路を描きました。テオと一緒に住んでいたルー・レピックは、この近くです。
パリ時代のゴッホは当時の最新の芸術運動である印象派と点描に触れました。これにより、徐々に明るい色を使用するようになりました。彼はまた、さまざまな絵画技法を試しました。様々なタッチが並んでいる彼の筆使いは、これらの芸術運動の影響を示しています。同じ絵の中で、彼はペインティングオイルで薄めた絵の具も試しました。 ---ゴッホ美術館の解説より。


【花開いたクリの木】
花開いたくりの木vangoghmuseum-s0126V1962-800
Horse Chestnut Tree in Blossom、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1887年5月
キャンバスに油彩、55.8 cm x 46.5 cm
F-numberF0270a、JH-numberJH1272、Object numbers0126V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)


【アニエールのボワイエ・ダルジョンソン公園のカップルたち】
公園の恋人達vangoghmuseum-s0019V1962-800
Garden with Courting Couples: Square Saint-Pierre、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1887年5月
キャンバスに油彩、75.0 cm x 113.0 cm
F-numberF0314、JH-numberJH1258、Object numbers0019V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

パリへ来て、都会らしいモチーフを明るい色調で描く変化がでてくる。短いタッチと色彩の選択で、晴れやかな春の日の効果を作りだすのに成功している。


【リンゴのある静物】
りんごの静物vangoghmuseum-s0131V1962-800
Apples、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1887年9月-10月
キャンバスに油彩、45.7 cm x 60.4 cm
F-numberF0254、JH-numberJH1342、Object numbers0131V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

リンゴと背景が、暖色系の黄色、オレンジ、赤、ピンク、寒色系の緑と青とで見事に混ざり合い、統一されている。短いタッチが画面にムーブマンを与えより奥深いものにしている。


【灰色のフェルト帽子の自画像】
灰色のフェルト帽子の自画像vangoghmuseum-s0016V1962-800
Self-Portrait with Grey Felt Hat、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1887年9月-10月
キャンバスに油彩、44.5 cm x 37.2 cm
F-numberF0344、JH-numberJH1353、Object numbers0016V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホは、1887年から88年の冬の2年近くパリに滞在していたときに、この自画像を描きました。彼が点描の技術を研究し、それを彼自身の独自の方法で行ったことは、この作品から明らかです。彼はさまざまな方向に絵の具の短い縞を置きました。それらが彼の頭の輪郭をたどるところで、一種の光輪を形成します。この絵は、ゴッホのパリで最も大胆な色の実験の1つでもあります。彼は、長いタッチを使用して、補色を互いに並べて配置しました。
背景の青とオレンジ、ひげと目の赤と緑。色は互いに強め合います。赤色の顔料は退色しているため、紫色は青色になり、黄色とのコントラストが弱くなっています。 ---ゴッホ美術館の解説より。


【ジャポネズリー:梅の開花(広重を模して)】

広重開花梅園vangoghmuseum-s0115V1962-800
Flowering Plum Orchard (after Hiroshige)、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1887年10月-11月
キャンバスに油彩、55.6 cm x 46.8 cm
F-numberF0371、JH-numberJH1296、Object numbers0115V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホは日本の版画からも強い影響を受けた。オランダ時代も複製をもっていたようで、パリでは多く購入した。パリでの点描の技法とは異なり、日本の版画では、色面の平面構成で大胆な構図を取得した。この絵は歌川広重の亀戸の梅園を模したものだが、ほかにも多数ある。


【画家としての自画像】
画家としての自画像vangoghmuseum-s0022V1962-800
Self-Portrait as a Painter、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1887年12月-1888年2月
キャンバスに油彩、65.1 cm x 50 cm
F-numberF0522、JH-numberJH1356、Object numbers0022V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホは、明るい、ほとんど混ぜ合わせていない色で描く、新しい画法を確立しました。絵のパレットには、補色のペアである赤/緑、黄/紫、青/オレンジがあります。ゴッホがこの絵に使用した色です。彼はこれらのペアを横に並べて互いに強めました。たとえば、スモックの青とひげの赤褐色です。画家としての自画像は、ゴッホがパリで制作した最後の作品でした。 ---ゴッホ美術館の解説より。



1888年:【アルル時代】明るい空を求めて

 日本の浮世絵に見るように、明るい陽射しを求めて、1888年2月、南フランスのアルルに来た。
モチーフは、リンゴ、プラム、梨、桃などの花咲く果樹園、跳ね橋など。漁船を描くために、海岸まで旅行にでている。風景画では、「黄色い家」をはじめ、モンマジュールの丘や麦畑など、熱心に描いている。
「画家達の共同生活・制作」を夢見て、8月には部屋を絵で飾るため『ひまわり』を4作制作している。そして、10月にゴーギャンがアルルに到着し、共同生活が始まる。ドラクロワ、レンブラントの絵画につて議論している。しかし、ゴーギャンはゴッホに「絵画はモチーフを見ても良いが、現実のものだに目を向けず、想像力に訴えるべきだと」と言って衝突する。
制作姿勢が異なり、激しい議論を繰り返し、精神的に緊張状態だったゴッホは、「耳切り事件」を起こし、アルル市立病院に収容される。
その後容態は改善に向かいサン=レミの療養所に移る。


【グラスに入れた花咲くアーモンドの枝】
アーモンドの小枝vangoghmuseum-s0184V1962-800
Sprig of Flowering Almond in a Glass、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、アルル、1888年3月
キャンバスに油彩、24.5 cm x 19.5 cm
F-numberF0392、JH-numberJH1361、Object numbers0184V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

アルルに来た直後の絵です。このあと果樹園のアーモンド、モモ、プラム、ナシの木の絵画シリーズが始まります。


【アルルの跳ね橋(アルルのラングロワ橋と運河沿いの道)】
アルルの跳ね橋vangoghmuseum-s0027V1962-800
The Langlois Bridge、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、アルル、1888年3月
キャンバスに油彩、59.6 cm x 73.6 cm
F-numberF0400、JH-numberJH1371、Object numbers0027V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

跳ね橋はアルルで主要なモチーフ。この絵では洗濯をする者はいないが、ヌエネン時代の農夫を描くように、庶民生活の一部を写し取りたかったのだろうか。あるいは、故郷のオランダの運河の郷愁があったのだろうか。


【クロー平野の収穫、背景にモンマジュール】
クロー平野の収穫vangoghmuseum-s0030V1962-800
The Harvest、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、アルル、1888年6月
キャンバスに油彩、73.4 cm x 91.8 cm
F-numberF0412、JH-numberJH1440、Object numbers0030V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

南フランスのアルル周辺の平坦な風景のこの絵画では、乾燥と暑さを感じることができます。ゴッホは、夏の日の雰囲気をとらえるために、青い空と、黄色と緑色の色調を組み合わせて平地を描きました。彼は炎天下で何日もトウモロコシ畑で制作しました。非常に精力的な時期であり、彼はわずか1週間で10枚の絵画を完成させました。ゴッホは農民の生活を見て、土地で働く姿を描きたかった。労働と収穫、これは彼の芸術のテーマでもありました。 ---ゴッホ美術館の解説より。


【サント=マリーの浜辺の釣り船】
浜辺の釣り船vangoghmuseum-s0028V1962-800
Fishing Boats on the Beach at Les Saintes-Maries-de-la-Mer、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、アルル、1888年6月
キャンバスに油彩、65 cm x 81.5 cm
F-numberF0413、JH-numberJH1460、Object numbers0028V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

これらの漁師のボートがわずかに非現実的に見える理由がお分りになりますか?砂浜の不規則な表面と比較して、ボートは過度に二次元的な方法で描かれています。強い輪郭の中で均一な色で塗られ、さらに、ボートはビーチに影を落としません。これらの画法は、ゴッホの日本版画コレクションに見られます。ゴッホはこの絵を浜辺で制作したかったのですが、漁師は毎朝非常に早く海に出てしまうため出来ませんでした。ゴッホはそこでボートと砂浜を別々に描き、後に自宅でこの絵を完成させました。 ---ゴッホ美術館の解説より。


【ズアーブ兵(半身)】
ズアーブ兵vangoghmuseum-s0067V1962-800
The Zouave、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、アルル、1888年6月
キャンバスに油彩、65.8 cm x 55.7 cm
F-numberF0423、JH-numberJH1486、Object numbers0067V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

力強い色彩で確固とした人物像を描いた。


【黄色い家】
黄色い家vangoghmuseum-s0032V1962-800
The Yellow House (The Street)、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、アルル、1888年9月
キャンバスに油彩、72 cm x 91.5 cm
F-numberF0464、JH-numberJH1589、Object numbers0032V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホはアルルのラマルティーヌ広場に面した家を借りた。同じ志を持つ画家が一緒に住み、制作する理想郷の黄色い家だ。だが、ゴーギャンとは考え方が異なり決別することになる。しかし、ゴッホにとっては、個人的なことは別として、芸術的な面ではかえって良かったと言える。同居時の制作はゴッホらしくなく駄作も目立つ。決別後ゴッホらしいものを取り戻すことになる。


【ファン・ゴッホの寝室】
寝室vangoghmuseum-s0047V1962-800
The Bedroom、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、アルル、1888年10月
キャンバスに油彩、72.4 cm x 91.3 cm
F-numberF0482、JH-numberJH1608、Object numbers0047V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホは黄色い家の寝室の絵を描きました。彼は部屋に簡素な家具と壁に自分の作品を用意しました。明るい色は、絶対的な「安らぎ」または「眠り」を表現するためのものでした。研究によると、今日の作品に見られる強く対照的な色は、長年にわたる変色の結果です。たとえば、壁やドアは元々青ではなく紫色でした。一方、後の壁は明らかに奇妙な角度になっています。でも、ゴッホのにとっては間違いではありません。これは意図的な選択でした。ヴィンセントはテオに手紙で、絵が日本の版画のように意図的に内部を「平らに」し、影を省いたと語っています。 ---ゴッホ美術館の解説より。


【種まく人】
種まく人vangoghmuseum-s0029V1962-800
The Sower、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、アルル、1888年11月
キャンバスに油彩、32.5 cm x 40.3 cm
F-numberF0451、JH-numberJH1629、Object numbers0029V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホは、種をまく人に特別な関心を持っていました。彼はこのテーマで30を超える絵画を作成しました。制作年は1888年の秋です。当時、ゴッホはポール・ゴーギャン(1848-1903)と一緒に制作しており、ゴーギャンは、ゴッホは現実のものだに目を向けず、想像力に訴えるべきだと言っていました。
ここでは、ゴッホは感情と情熱を表現するための色を使用しています。彼は主役を空の緑がかった黄色と大地の紫に割り当てました。明るい黄色の太陽は光輪のように見え、種まきを聖人に変えます。
---ゴッホ美術館の解説より。
構図は日本の版画を模した大胆なもので、色面での構成や画面中央の樹木の配置。また幹の表現の平面に塗りつぶされている。


【ゴーギャンの肘掛け椅子】
ゴーギャンのひじ掛け椅子vangoghmuseum-s0048V1962-800
Gauguin's Chair、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、アルル、1888年11月
キャンバスに油彩、90.5 cm x 72.7 cm
F-numberF0499、JH-numberJH1636、Object numbers0048V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ポール・ゴーギャンの椅子は肘掛があり立派なものに対して、ゴッホの椅子は粗末な椅子を描いている。ゴーギャンに対する尊敬の念を感じさせる。


【ひまわり(15本のひまわり)】
ひまわりvangoghmuseum-s0031V1962-800
Sunflowers、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、アルル、1889年1月
キャンバスに油彩、95 cm x 73 cm
F-numberF0458、JH-numberJH1667、Object numbers0031V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ファン・ゴッホの制作した「花瓶に挿された向日葵をモチーフとした油彩の絵画」という定義であれば、7点が制作されたことが広く認められている。このうち6点が現存している。---Wikipediaより。
ゴッホの最も有名な作品の一つ。ゴッホ美術館では、特別コーナーを作って所蔵作品以外も見られるようになっていた。


 サン=レミの療養所で1年間、療養生活を送ったが、その1年で約150の絵画を制作している。
療養所では一室をアトリエとして使用し、庭のアイリス、窓から麦畑や糸杉などを描いている。具合が良くなると、戸外での制作も許され数多くの風景画を描いている。
ゴッホの病状は一進一退で、何度も発作が起き意識不明になっている。
ただアルル時代までのように様々な影響も受けず、ただ一人で独自の画風を確立していったことは、美術史上貴重なものとなった。
この頃制作された「アーモンドの木の枝」は弟テオと妻ジョーに子が誕生し、そのプレゼントとして描かれている。
1890年5月サン=レミの療養所を退所し、オーヴェル=シュル=オワーズに転地した。


【石切場の入口】
採石場への入口vangoghmuseum-s0041V1962-800
Entrance to a Quarry、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、サンレミドプロヴァンス、1889年6月
キャンバスに油彩、60 cm x 74.5 cm
F-numberF0744、JH-numberJH1802、Object numbers0041V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホ独特のうねるようなタッチで描かれ、吸い込まれていくような錯覚を覚える。


【刈る人のいる日の出の麦畑】
刈り人のいる日の出の麦畑vangoghmuseum-s0049V1962-800
Wheatfield with a Reaper、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、サンレミドプロヴァンス、1889年9月
キャンバスに油彩、73.2 cm x 92.7 cm
F-numberF0618、JH-numberJH1773、Object numbers0049V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

サン・ミレの病室からこの壁に囲まれた麦畑を描いた。何か永遠に続く労働のように私は感じる。


【花咲くアーモンドの木の枝】
花咲くアーモンドの木の枝vangoghmuseum-s0176V1962-800
Almond Blossom、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、サンレミドプロヴァンス、1890年2月
キャンバスに油彩、73.3 cm x 92.4 cm
F-numberF0671、JH-numberJH1891、Object numbers0176V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

青い空を背景にしたこのような大きな花の枝は、ゴッホのお気に入りのテーマの1つでした。アーモンドの木は春の早い時期に咲き、新しい生活の象徴になります。ゴッホは、日本の版画から大胆な輪郭、モチーフの構図に触発されました。この絵は、弟のテオと妻のジョーに赤ん坊、フィンセント・ウィレムが生まれ、その贈り物でした。後に、フィンセント・ウィレムは、ゴッホ美術館を設立しました。
---ゴッホ美術館の解説より。



【静物:アイリスのある花瓶、黄色い背景】
アイリスのある花瓶vangoghmuseum-s0050V1962-800
Irises、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、サンレミドプロヴァンス、1890年5月
キャンバスに油彩、92.7 cm x 73.9 cm
F-numberF0678、JH-numberJH1977、Object numbers0050V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホは、サン・レミの療養所でこの静物画を描きました。ゴッホは強力な色のコントラストを実現するために研究をしました。黄色の背景に紫色の花を配置することで、装飾的な画面をさらに際立たせました。アイリスはもともと紫色でしたが、年月を経て、赤色の色素が薄くなり、青色に変わりました。ゴッホはこの花束の絵を2枚制作しています。 ---ゴッホ美術館の解説より。



1890年:【オーヴェル時代】カラスのいる麦畑、荒れ模様の空の麦畑の傑作を残した終焉の地

 1890年5月、ゴッホはパリ近郊のオーヴェル=シュル=オワーズに着き、ポール・ガシェ医師を訪れる。ゴッホとアマチュア画家のガシェ医師はすぐに友達になり、ガシェ医師はゴッホに絵画に集中するように勧めている。ガシェ医師の家を訪れては、絵画や文学の話をしており、ガシェ医師や家族の肖像などをも描いている。
オーヴェル時代の3部作の傑作が誕生する。『荒れ模様の空の麦畑』、『カラスのいる麦畑』、『ドービニーの庭』
そして、7月27日の日曜日の夕方、麦畑に入り、銃で胸を撃ち(自殺を否定する説もある)
その傷がもとで29日午前1時半に死亡した。


【オーヴェルの眺め】
オーヴェルの眺めvangoghmuseum-s0105V1962-800
View of Auvers、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、オーヴェルシュルオワーズ、1890年5月-6月
キャンバスに油彩、50.2 cm x 52.5 cm
F-numberF0799、JH-numberJH2004、Object numbers0105V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

この作品は、パリ近郊のオーヴェル=シュル=オワーズの村の風景です。ゴッホは彼の人生の最後の2か月をそこで過ごしました。ゴッホが画家として制作していた10年間を通して、彼はさまざまな技法を試しました。前景の植物には、丸みを帯びた流れるような筆致を、真ん中の色の付いた屋根の列には、縦縞を使用しました。村の向こうの緑の野原は、ほぼ均一な色のエリアです。空は未完成です。彼は雲の輪郭を青色のいくつかの素早い縞で描いています。 ---ゴッホ美術館の解説より。


【荒れ模様の空の麦畑】
荒れ模様の空の麦畑vangoghmuseum-s0106V1962-800
Wheatfield under Thunderclouds、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、オーヴェル=シュル=オワーズ、1890年7月
キャンバスに油彩、50.4 cm x 101.3 cm
F-numberF0778、JH-numberJH2097、Object numbers0106V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホは生涯の最後の数週間で、オーヴェル周辺の麦畑の印象的な絵画を数多く完成させた。「カラスのいる麦畑」とともに最後の傑作だ。


【カラスのいる麦畑】
カラスのいる麦畑vangoghmuseum-s0149V1962-800
Wheatfield with Crows、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、オーヴェル=シュル=オワーズ、1890年7月
キャンバスに油彩、50.5 cm x 103 cm
F-numberF0779、JH-numberJH2117、Object numbers0149V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

カラスと麦畑は、ゴッホの最も有名な絵画の一つです。これは彼の最後の作品であるとよく言われます。恐ろしい空、カラス、行き止まりの道は、近づいてくる彼の人生の終わりを指していると言われています。しかし、それは単なる根強い神話です。実際、彼はこの作品の後に他のいくつかの作品を制作しています。荒れた空の麦畑で、ゴッホは「悲しみ、極端な孤独」を表現したかったが、同時に「田舎がどれほど健康で心が強くなったか」を示したかった。 ---ゴッホ美術館の解説より。


【木の根と幹】
木の根と幹vangoghmuseum-s0195V1962-800
Tree Roots、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、オーヴェル=シュル=オワーズ、1890年7月
キャンバスに油彩、50.3 cm x 100.1 cm
F-numberF0816、JH-numberJH2113、Object numbers0195V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

抽象画を見ているような感覚だ。未完成で、おそらくゴッホの最後の作品と言われている。(死去は1890年7月29日)二重正方形キャンバスで珍しい。

<了>


【ページ内リンク】

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1.はじめに

2.チケット予約など

3.時代順作品


1871-1880年:画家になる決意をするまで

1881年:【オランダ時代】エッテン、ハーグ、ニーウ・アムステルダム、ヌエネン

1886年:【アントワープ、パリ時代】一気に印象派、ジャポニスムなどを吸収、開花する

1888年:【アルル時代】明るい空を求めて

1889年:【サン・ミレ時代】療養院に入院、絵画制作を続ける

1890年:【オーヴェル時代】カラスのいる麦畑、荒れ模様の空の麦畑の傑作を残した終焉の地



【外部リンク】

クレラー・ミュラー美術館(ゴッホ美術館に次ぐ量の作品が所蔵されている)

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ・ギャラリー(全作品やゴッホの手紙が掲載されている)






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ローマ編_170826_0479フィレンツェ編_170826_0174


 今回の旅行で、長年の夢だったルネサンス美術を現地で見ることができました。
ルネサンス美術盛期のダ・ビンチ、ミケランジェロ、ラファエロは勿論、初期のフラ・アンジェリコからルネサンス終焉後のバロックのカラヴァジョまで。

回った美術館はヴァチカンのヴァチカン美術館、フレンツェのウフィッツ美術館、アカデミア美術館、サンマルコ美術館、ローマのバルベリーニ宮(国立古典絵画館)ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会(ダビンチの最後の晩餐)。


 【ウフィッツ美術館】   【アカデミア美術館】   【サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会】
フィレンツェ編_170826_0407フィレンツェ編_170826_0267ミラノ編_170826_0040


【ヴァチカン】
ローマ編_170826_0390


その他、パラティーナ美術館、ボルゲーゼ美術館など回りたかったのですが、ローマ37℃、フィレンツェ40.2℃の灼熱の天候で、とても回れませんでした。
しかし、上記の美術館で十分満足であり、無理していたらその後の二週間に渡る旅程に悪影響をしていたと思います。
個人旅行の良いところは、この辺の自由に旅程が変更できるところでもあります。
さて、今回の美術館めぐりで重要な教訓が3つあります。


1.必ず予約をすること
 予約については必ず取った方が良いです。ヴァチカン美術館、ウフィッツ美術館などは驚くほどの長蛇の列でした。
予約していた私たちは列を横目に入口まで直進。ロスタイムなし。海外旅行の限りある時間を大切に使えます。
時間のロスも然る事ながら、灼熱の太陽のもと長時間並んでいたら熱中症になるでしょう。
ヴァチカン美術館は直接か、日本の代理店へ。ウフィッツ美術館はフィレンツェ市内の他の美術館も回るのであれば、フィレンツェパスが良いかと思います。


【ウフィッツィ美術館の長蛇の列】
ウフィッ美術館


【フィレンツェカード】
S__23224324S__4202501



2.鑑賞作品、ルートをあらかじめ決めておく
ヴァチカン美術館、ウフィッツ美術館はともに膨大な作品を抱える巨大美術館です。また、作品の時代やジャンルも多岐に渡るので、焦点を絞らないとただ広い館内を歩いただけの結果になりかねません。
ある程度見たい作品が絞れたら、つぎは鑑賞ルートを決めると最小限の無駄と最大限の鑑賞をすることができます。


【ヴァチカン美術館の館内マップ】
S__23224323


3.できれば事前予習をしておく
学生時代から美術には興味がありましたので、絵画について知識があるつもりでしたが、旅行前、イタリアルネサンス美術関連の書籍を何冊か読むと、知らないこと、面白いことを沢山知りました。
実際、作品を目の前にすると、色々な情報が吹き出し、興味深い鑑賞をすることができました。
ただ、小難しい美術評論のようなものはやめましょう。


ご参考までに私の利用した書籍をご紹介します。
【参考書一例】
S__23224325

  図解「イタリア・ルネサンス美術史」松浦弘明著 河出書房新書 2000円
  「西洋絵画の鑑賞事典」佐藤晃子著 永岡書店 1400円
  作家別「ルネサンスの美術」塚本博著 東京美術 2000円



副次効果=====> ダイエット

まずは、この体重変化グラフを見てください。

体重を記録し始めた2月23日から旅行直前の7月28日までの156日間で、約5.5㎏の減です。
月間1㎏ぺースで理想的なダイエットです。

体重グラフ1

これは、イタリア・南フランスに18日間の旅行のために体力増強しようと、半年前の2月からウオーキングをした結果です。実は、今回の家族旅行は私(63歳)と子供たち3人(28歳から33歳)ですので、年齢差があり体力増強の必要があったのです。

さて、ダイエットのことは情報が多く色々な方法もあるかと思いますが、私のダイエットは上記グラフも示すように効果がありましたのでご披露します。

まず、
1.ウオーキングは日常に組み込む。
私の場合は、朝の通勤時に一駅前に降り会社に行き、帰りも一駅前に降り家に帰りました。
実際は朝3~5㎞、夜3㎞程度です。(下記に実際の歩数を載せます)
「肝心なことは、特別なことはしない。ウオーキングは日常に取り入れる」です。

2.ダイエットのための食事制限はしない
ただし、夕食だけは炭水化物をできるだけ少なくする。晩酌はおかまいなし。
これも特別なことをすれば、長く続かず、リバウンドしてしまいます。
カロリーは運動で調整、運動で基礎代謝も向上してゆきます。

3.とにかく続けること
体重は日々変化します。特に運動をし始めると筋肉量が増し、体重が増えることもあります。
効果を気にせずに、とにかく地道に長く続けることです。そうすればグラフにあるように徐々に減少の傾向になります。

体重4




6月17日にはめでたく肥満(BMI22のプラス10%以内)脱却です。
そして旅行では十分な活動ができました。(40.2℃の時を除いて)



次に各美術館でのポイントとなることを「その2」に記述します。



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今回はヴァチカン美術館について体験談をお話しします!!

<ヴァチカン美術館>

【美術館入口】
ローマ編_170826_0102


ヴァチカン美術館は25もの美術館・博物館・図書館などの集合体で、鑑賞全ルートは7kmに及ぶそうです。

【ヴァチカン美術館予約証】
S__23224326


館内は広く、しかも一方通行のところがありますので、鑑賞ルートはしっかりしたいものです。

私たちは、ヴァチカン美術館からシスティーナ礼拝堂、サンピエトロ大聖堂へのルートを選択しました。

なぜなら、ヴァチカン美術館鑑賞後にシスティーナ礼拝堂に行き、そこからサンピエトロ大聖堂に待ち時間なしで入れるからです。

ヴァチカン美術館の正規の出口から出てしまうと、サンピエトロ大聖堂に入るのには大聖堂の入り口へ最初から並ばねばならないからです。また、システィーナ礼拝堂からサンピエトロ大聖堂への案内がないため、ほとんどヴァチカン美術館に戻ってしまい、一方通行のため戻れないという悲劇になります。


【公式マップに案内経路を朱書】
美術館ルートマップ

ヴァチカン美術館公式サイト
http://www.museivaticani.va/content/museivaticani/de.html
色々有益な情報が掲載されていますので目を通しておいた方が良いかと思います。
例えばシスティーナ礼拝堂は各種宗教行事で使用されますので、案内のカレンダーをチェック。
非常に綺麗なサイトです。イタリア語から英語モードにスイッチできます。


ヴァチカン美術館公式サイトに掲載されている上記マップの場所
http://www.museivaticani.va/content/museivaticani/en/visita-i-musei/servizi-per-i-visitatori.html
画面左下に表示されます。ダブルクリックでマップがダウンロードできます。
Maps
Tour itineraries in the Vatican Museums


さて、上記経路の順を追って見て行きたいと思います。


①絵画館ピナコテーカ(Pinacoteca):13~17世紀イタリア絵画を収蔵。

ヴァチカン館内8

ローマ編_170826_0480DSC_0059

DSC_0060ローマ編_170826_0432




②グレゴリアーノ・エジプト美術館(Museo Gregoriano Egizio):エジプト王朝時代の作品を収蔵。

ローマ編_170826_0090ローマ編_170826_0089




③ピオ・クレメンティーノ美術館(Pio Clementino):ヘレニズム期の古代彫刻を収蔵。

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DSC_0052


④燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)


⑤タペストリーのギャラリー(Galleria degli Arazzi)

ローマ編_170826_0028ローマ編_170826_0029




⑥地図のギャラリー(Galleria delle Carte Geografiche):地図がフレスコで描かれる。

ローマ編_170826_0478ローマ編_170826_0022



⑦ラファエッロの部屋(Stanze di Raffaello)

DSC_0072DSC_0073




⑧システィーナ礼拝堂

ローマ編_170826_00025_the-Last-Judgement-768x923





⑨サンピエトロ大聖堂

ヴァチカン館内5ヴァチカン館内4

ローマ編_170826_0405


ヴァチカン美術館の主要なものを鑑賞後、システィーナ礼拝堂に入りました。その後、サンピエトロ大聖堂への入り口が分からず美術館に戻ってしまいました。違いに気づき、戻ろうとしましたが、監視員の方に一方通行で止められました。
幸い、その監視員の方に「サンピエトロ大聖堂に行きたいのだが。。。」とカタコトの英語で伝えたところ、「じゃ、案内しよう」と礼拝堂まで一緒に行って頂き礼拝堂の異なる出口(案内板なし)を教えて頂きました。
道すがら、日本には何回も行かれ、特にディズニーランドは良かった、次は仙台に行きたいとのことでした。
偶然、親日家の方だったので幸運でしたが、迷惑をおかけしないように、大聖堂への入り方を説明致します。


【システィナ礼拝堂からサンピエトロ大聖堂へ抜ける方法】
システィナ礼拝堂の短辺側の一つの「最後の審判」図を背にして進み、右奥に何の表示のない出口があります。そこを進むと大聖堂直結です。
大抵は左側の出口から美術館に戻ってしまいます。お気を付けて!
なお、礼拝堂は静寂にしないと監視員に怒れます。写真も一切だめ。また、肌の露出した洋服もNGです。
敬虔なクリスチャンの多いイタリアでは厳しいようです。マナーを守りたいものです。



■心に残った絵画6点(盛期ルネサンスを中心として)

 ダ・ヴィンチ「聖ヒエロニムス」
未完の作品ですが、ダ・ヴィンチのデッサン集にあるような人体の解剖的な確かな描写が圧倒的な圧力を感じた作品でした。
ダ・ヴィンチの深淵な人間性を感じることのできる作品で、ぜひ、一度この絵の前に立って見たい秀逸の作品です。

ローマ編_170826_0051

 ラファエロ「キリストの変容」
ラファエロの傑作のなかでも完ぺきな作品でした。
学生の頃より図版で良く知っていた作品ですが、この作品の前に立つと、その色彩の渦と画面を駆け回るムーブマンはめぐるめく果たしなく続き、感動されられる作品です。


キリストの変容

 ラファエロ「アテナイの学堂」
ヴァチカン美術館のなかで最も見たかった作品です。プラトン、アリストテレスを中心に学問の各分野の偉人を配し、アカデミックな議論をしている図は、なんとも興味深く、また、見る者の心情は、雑念なくなり、崇高な雰囲気にしてくれます。

ローマ編_170826_0005

 ミケランジェロ「ピエタ像」
たしかミケランジェロが自分の墓用に制作したものと記憶しています。確かに、「癒し」の表現での最高傑作だと思いました。
ヴァチカン美術館でこの作品を見たとき、あなたも、きっと心が洗われる瞬間を体験できると思います。

ローマ編_170826_0033

 ミケランジェロ「創世記」(システィーナ礼拝堂)
礼拝堂に入った瞬間、天井全体のブルーの色彩を中心とした「創世記」は各物語をそれそれ語り始め、永遠の時間を感じるよな雰囲気に包まれました。
コンクラーベも行われる荘厳なこの空間の空気を吸えることは何とも日本人として幸運な感じがします。
創世記には次のものが含まれています。
■光と闇の分離  ■太陽、月、植物の創造  ■大地と水の分離  ■アダムの創造
■エヴァの創造  ■原罪と楽園追放  ■ノアの燔祭  ■大洪水  ■ノアの泥酔

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 ミケランジェロ「最後の審判」(システィーナ礼拝堂)
神が人間の最後の審判を下す姿は、威厳をこれほまでも表現できるのかと思いました。
天井画と同じように、ミケランジェルの絵画の最高傑作に触れられる幸せを感じました。

5_the-Last-Judgement-768x923

なお、システィーナ礼拝堂は撮影禁止のため上記画像は図版より転送。

次回は、ウフィツィ美術館です!!



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今回はウフィッツ美術館についてです。


<ウフィッツ美術館>

【入場券とフィレンツェカード】
S__23224327 S__4202501



ウフィッツ美術館はイタリアで最大の美術館で、その質と量には圧倒されます。
外観は重厚な建築でコの字型、2階、3階が展示室になっています。途中、テラスからベッキオ橋が 
良く見えました。

ウフィッツ中庭


ルネサンス初期から終焉まで見るには最適な収蔵作品があります。当たり前ですが本場(発祥の地  
)ですからね。特に初期ルネサンスの祭壇画は豊富で、時間を忘れてしまいます。


【祭壇画】
祭壇画 祭壇画3


3階が中心的な展示室になり、長い回廊が平行して2つあり第一回廊、第三回廊があります。第二回廊は
2つの回廊をつないでいます。各室の展示内容は次のようになっています。

<第1回廊>

【 1~7室 】に古代彫刻、プルトルネサンスから初期ルネサンス絵画。チマブーエ「荘厳の聖母 マエスタ」
【 8室 】では、フィリッポ・リッピの間。ピエロ・デッラ・フランチェスカ作「ウルビーノ公夫妻の肖像」 、フィリ ッポ・リッピ「聖母子と二天使」
【 9室~14室 】ボッティチェッリの間。:ボッティチェッリ「春」、「ヴィーナスの誕生」
【 15室 】ダヴィンチ間。レオナルド・ダヴィンチ「受胎告知」
【 16室 】地図の間

<第3回廊>

【 26室 】ラファエッロの間。ラファエッロ「ひわの聖母」
【 28室 】ティツィアーノの間。テツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」
【 35室 】ティントレット
【 41室 】ルーベンスの間
【 44室 】レンブラントの間


それでは心に残った絵画(盛期ルネサンスを中心として)を見てゆきます。

やはり格段と華やかさ感じさせる室は、ボッティチェリの「プリマヴェーラ」「ヴィーナスの誕生」がある室でした。両作品は想像以上に大きな絵で、ゆっくりと細部まで見ることができました。
図版では見ることができないディテールと色彩を堪能できました。


【ボッティチェリ プリマベーラ】
フィレンツェ編_170826_0152



【ボッティチェリ ビーナスの誕生】
DSC_0295



近辺には、ティツィアーノの「ウイルビーノのヴィーナス」「フローラ」がありました。
「フローラ」は今年3月に東京で見た【ティツィアーノとベネチア派展(東京上野・東京都美術館・2017.1.21~4.2)】ので、本拠地ではここに展示されているのかと感慨深いものがありました。
東京での展覧会では、この「フローラ」がメインの展示で、人ごみで上半分しかよく見えませんでしたが、 その美しさは鮮烈に覚えています。

【ティツィアーノ ウイルビーノのヴィーナス】
ウィルビーノのヴィーナス


【ティツィアーノ フローラ】
フローラ


また、特筆すべきはダ・ビンチのコーナーで『受胎告知』『キリストの洗礼』が見られたことです。
『受胎告知』は修復技術のお蔭でしょうか大変綺麗な状態で、この名作が目の前にあるのが信じられないような感じでした。
『キリストの洗礼』はダ・ビンチが描いたとされる左下の天使の髪の毛は、やはり他の部分とは違う繊細で緻密に描写され、その質感には驚きました。

【レオナルド・ダ・ビンチ 受胎告知】
ダヴィンチ受胎告知

【アンドレア・デル・ヴェロッキオと弟子レオナルド・ダ・ヴィンチの共作 キリストの洗礼一部】
キリストの洗礼部分



およそ50年近く前に買ったラファエロの画集の表紙にこの「ひわの聖母」があり、見慣れすぎて目に焼き付いている絵です。まさか本物をイタリアで目の当りにするとは。。。

【ラファエロ ひわの聖母】
DSC_0311



【ラファエロ 自画像】

DSC_0313




写真では分かりずらいのですが、女性の服の表現には驚きました。薄い素材を纏っていますが、肉体を完全に感じさせるほど優れた技法です。

【ブロンズィーノ 聖家族と幼児聖ヨハネ】
DSC_0309



【美術館館内スナップ】

DSC_0301 ウフィッツ館内

ウフィッツ館内4 ウフィッツ館内3




さて、次回は最終回で、<アカデミア美術館(フィレンツェ)><サンマルコ美術館(修道院)>
<バルベリーニ宮(国立古典絵画館)><サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会>をご紹介します。





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