個人旅行大好き!村山さんちの家族旅行記!

ツアーを予約して、集団でゾロゾロ海外で観光。帰国して、思い出すことはなんですか? そういえば、何したっけ? そんな経験ありませんか? そうです。添乗員に着いていくのはラクですが、そんなに覚えてないことが多いんです。さらに、 そこは興味ないんだけど^^; ってことないですか? どうせなら、自分が本当に興味あるとこだけ、訪れたいですよね!? そんな方に読んで欲しい、完全個人手配の旅行記です!

旅の雑記帳

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3.尿膜管遺残症の診断から1年後の状況報告~手術せず~

 一年前「2.粉瘤(初期の病名)から尿膜管遺残症へ~激痛から病名確定までの9日間の苦闘~」を書いたが、その後の病状のことは記述なく今日に至ってしまった。
このブログを読んでくださる方もおられ、その後の経緯を書くことにした。

「尿膜管遺残症」の診断後

 昨年、7月23日「尿膜管遺残症」の診断が下り、化膿していた臍の中を切開。炎症が静まるまでの手当をしてから、手術へとの手順が決まった。
手術は8月7日から3週間の欧州旅行後に状態を見ながら日程を決める段取りになった。
昨年1月には尿管結石の除去手術(TUL)で一週間入院したので、また手術かと気が重かった。私はどうも全身麻酔をするとその暫くは体調が戻らない。
旅行前に1週間分の抗生剤と塗り薬を処方された。傷口に当てる滅菌パックを取り合えず10日間分薬局で購入。もし、旅行中に化膿や痛みが出て、抗生剤を飲んでもダメな場合は、現地の病院にかかるようにと言われた。症状を伝える言語と費用が心配になる。

8月7日からの欧州旅行

 出発までの2週間、臍の洗浄(シャワー)で分泌物も減ってきた。痛みはない。あとは、帰国まで無事にこのままの状態を保てればと祈る気持ちだ。
幸い、3週間の旅行中は何もなく、旅行を楽しめた。  
ただ、毎日のシャワー後の滅菌パック貼る絆創膏の跡が赤くみみず腫れになって痛痒かった。皮膚は強い方であったが、肌に優しいとの能書き絆創膏でもだめだった。貼る位置を少しずつ変えながら、傷んだ皮膚には塗り薬を塗布した。
 旅行中は暑く、臍のパックも替えが多くなり、持参分では足らなくなる計算になった。そこで、訪問国の医療先進国のドイツで滅菌パックを仕入れることにした。
街中のファーマシーですぐに見つかり購入した。値段は覚えていないが結構高かった記憶がある。でも、さすがドイツの製品だけあって優れていた。絆創膏を使わず、シールになっていた。完全に密閉でき、肌もそれほど傷まなかった。快適だ。
この滅菌シールのおかげで旅行中、諦めていたプールにも入ることができた。

旅行からの帰国後

 8月27日に帰国。特にトラブルや病気もなく楽しい旅行だった。➡ ヨーロッパ夏旅(2019/8)
一週間後の9月3日に地元の病院の外科の予約が入っていたがキャンセルした。旅行前はいつ痛みが来るか、臍からの分泌物も病んでいる証拠で手術も止む無しだったが、旅行中、なにも起きなかったので、もう少し後回しにしたい気持ちからだった。

9月25日、主治医の見解

 帰国から一か月がたった9月25日、持病でお世話になっている主治医の定期診察日。7月23日に地元の病院で「尿膜管遺残症」の診断があり、手術になることを報告。
この先生は、この前のブログ「2.粉瘤(初期の病名)から尿膜管遺残症へ~激痛から病名確定までの9日間の苦闘~」で外科での診察を進めていただいた先生であり、それまでの経緯もご存じである。また、このクリニックの開院前は有名病院の外科医をされている。
 先生は「手術はしない方が良いよ」と言ってくれた。私も沸々と手術はやだなと思っていたこともあり、身を乗り出した。
「この病気は、何度も化膿を繰り返す場合は手術しないと完治しないが、そうでないならば手術の必要はない」「しばらく様子を見なさい」とのお話であった。
今は痛くも痒くもない。先生は私の年齢(前期高齢者)や持病のことも考慮にいれての見解かと思う。
いづれにしても、大問題を抱えていたものが、突然消えた。こんなに軽やかな気持ちになれたのは久しぶりだ。
「ただ、毎日、臍にシャワーして、清潔に保って」「臍シャワーは石鹸など付けずに」「流水は、消毒よりも清潔にするからね」
この3番目のフレーズには驚いた。流水は消毒よりも清潔!知らなかった。

一年後

そして今日、2020年8月8日。臍は何事もない。毎日の臍シャワーの習慣はいつのまにかなくなっているが。。。
そして、昨年の旅行以降、一度も病気をしていない健康体だ。
通常、持病でもない限り、主治医の先生はいないと思うが、手術などの重大な決定は、やはりセカンドオピニオンが必要だと痛感した。

<了>



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2.粉瘤(初期の病名)から尿膜管遺残症へ ~激痛から病名確定までの9日間の苦闘~

欧州旅行の出発日は2019年8月7日。出発日まで3週間前(7/15の痛みから)に発症。病名確定までの9日間の記録。

2019/7/6(土)皮膚科初診 病名「臍炎」
2週間くらい前から、臍から透明な体液が滲み出ていた。臭いがくさく気になっていた。
数日前、親爺たちの呑み会で面白い話もなく、ちょっと、この臍の話をしたところ、「ネットで見ると病院で診察してもらわないとダメみたいだぞ」と言われ、ネットで調べ病院の診察を決心する。痛み、かゆみ、腫れなどなし。
地元の病院、皮膚科初診。20代のイケメン先生。
臍の汚れをピンセットで取り、顕微鏡で見るが、カビは無いとのこと。「臍炎」でしょうとのことで抗菌剤を処方される。
このころより、体液は無色透明から薄茶色になり、臍にガーゼを当てないと下着を汚すようになる。
ガーゼを留める、紙テープが酷く痛み、腫れた。以降、パンツに挟むだけにした。
皮膚は強い方で、肌荒れなどしたことがなかったが、臍のまわりは炎症があり、テープはダメだった。
抗菌薬は臍に垂らし(液体)、綿棒で綺麗にし、さらに垂らした。滲みる。
他のブログにあるように、痛みとか、膿、出血などなどないので、気楽に一日2回、手入れしていた。

2019/7/15(月)祝日。臍中心に突然の強い痛み
朝から臍を中心に強い痛み。臍からの体液は以前と変わりなし。
臍のすぐ上にシコリがあり、押すと強い痛み。臍を中心として皮膚が赤らむ。
痛むので、腹を伸ばせず前かがみで歩く。寝返りも痛く、背中、腰が痛くなるまで、仰向け姿勢で、寝返りは最低限にした。咳、クシャミは最悪。とにかく腹に響かないように、安定した姿勢をとる。
今日は祝日なので、地元の病院は休み。火曜日は皮膚科休診(診療日:月、水、土)
水曜日に総合病院の内科(胆石症の治療)の予約があるので、かこつけて相談してみよう。総合病院の皮膚科に回してくれれば最高なのだが。
地元の病院は胆石の件(前記事)でやや不安。

2019/7/16(火)痛みに堪えて出勤
臍を中心に痛い。腹を伸ばすと痛いので、歩きは前かがみで歩幅が狭くゆっくり歩く。明らかに病人。
会社では、幸いデスクワークなので、楽な姿勢で座っていれば痛くなかった。通勤では痛くてヒヤ汗をかいた。

2019/7/17(水)総合病院の予約日(胆石の治療で、肝・胆・膵内科)
総合病院、肝、胆、膵内科9:00の予約。ただ今日は先週の胆石症に関わる血液検査の結果報告。受付票にも「血液検査結果」とある。なんとか、関係ない臍の話と、あわよくば、この病院皮膚科へ回してもらえばと、医師への説明ストーリーを考える。
結構、神経質というか、関係ない話をするとムカつく医師が多いので、簡潔に肝、胆、膵と結びつけなければならない。緊急性では「歩くのがやっとの強い痛みと発熱」。重大性では「パンパンに腫れ上がっている」。
肝、胆、膵関連では「腹部全体でなにか起こっているのでしょうか?」。現在の治療は「抗菌剤をつけているだけ」、などなど。
本日一番の患者として呼ばれる。入室、開口一番「先生、痛たくて歩くのがやっとなんです」。
続けて、臍の話をはじめたら、やはり制止され、先週の検査の結果から入りましょう。。。と
幸い血液検査の結果は良好ですぐに終わった。
臍の話になったら、「抗生剤飲んでないの?!すぐ抗生剤を飲まなければ」「私から出すからすぐ飲んでいく?」とまで言われた。結果は、「この足ですぐ地元の病院に行きなさい」だ。
残念ながら、「私から連絡するから、すぐ皮膚科に行きなさい」ではなかった。
それは、不幸にも今年の5月末で皮膚科の新患は受け入れ中止とのことだった。常勤の医師不足が理由。1か月半前だ。。。
でも、この総合病院はすごく優秀。胆石の件も全部辻褄の合うストーリーの診断。今回も、地元の病院から持ち込んだCT画像(6/18肝臓の件で紹介状と提供情報のCTを持ち込んだもの)を見て、臍の所にピンポン玉大の袋があることを見て教えてくれた。

同日、総合病院から地元の病院へ 病名「粉瘤」
今日は暑く、臍は痛く、汗だか脂汗だかごっちゃで前かがみで歩幅狭く、のろのろ歩いた。
腹を伸ばすと痛いので腰、背中を丸める。頭部も前に傾くので、顎を上げ歩く、まるで婆さんのようだ。(爺さんか)駅からタクシーはなく、仕方なく歩く。(こういう場合のタクシー代は医療費控除の対象になるんだ、なんてケチなことを思いながら)
地元の病院にたどり着き、受付けを済ませて待合室に座ったのが、11時10分。
胆石の時もそうだったが、異なる医師にかかる場合、毎回、問診票を書かされる。
患者の90%以上は老人。予約なしだから相当待ちを覚悟したが、呼ばれたのは午前の部の最終者で、13時40分。実に2時間半。でも、先生は食事どうしてるのかな?などまだ、私にも余裕が。
こちらは皮膚科だから、ダイレクトに「歩けないくらい痛いのですが」と開口一番。すぐ触診して痛みの範囲を確認していた。臍の裏のピンポン玉大の袋の話はしたが画像は見なかった。
待合室で長時間、することもないまま患者と僅かに聞こえてくる、医師と患者の会話。察するによく話うを聞き、よく説明する先生らしい。
診察を終え、「粉瘤のようなものですね」と診断。抗生剤を7日間を処方。抗生剤を飲み始め、よくならない場合は、原因が細菌でなくカビの可能性があり、この場合、点滴での治療でないとダメとのこと。万一、高熱が出た場合は、救急で、入院施設のある皮膚科にタクシーか救急車で行ってください。との注意もあった。
そう、この病院は皮膚科での入院設備はない。
帰宅後、微熱がでる(37度2分から6分)、薄茶色の膿が出るようになった(ガーゼに直径1センチくらいの円)
ガーゼ交換は2回から4~5回/日になった。
ネットでいろいろ調べた。「臍炎から尿膜管遺残」という個人の方の闘病記録のブログがあった。
どうも、似ている。この方ほど劇症ではないが。。。

2019/7/18(木) 腹が張っている、会社を休んだ
昨晩から微熱があり、今朝、37度4分。腹はパンパンで痛く、熱もあり戦闘意欲ゼロ、会社を休んだ。
終日、よく寝た。長時間のせいか夢を多く見た。帰り道が分からなくなったものや、高い橋の橋脚によじ登るものだったり、ろくなものではなかった。
やはり食欲はなく、うどんのようなものが食べやすかった。
昨日から抗生剤を飲んで、今日は痛みが弱くなっている。抗生剤が効き始めたか?

2019/7/19(金) 鎮痛剤服用して出勤
有休もすくないので、出社した。熱は36度8分。朝にしては高いが仕方ない。
痛みは昨日よりも良い。鎮痛剤服用して出勤した。
幸いデスクワークで動かない状態だと痛みはない。尿管結石や胆石発作の場合は、何におしてもダメだが、今回は痛くない姿勢がある。咳は痛い。深い咳にならないように抑えると、飛沫が鼻の奥に飛び、クシャミになった。クシャミは咳の10倍は痛い。
歩く姿は前かがみで、腹を伸ばさないように歩く。
混雑した駅のコンコースでは、下腹に何かが当たらないように、腕でガード。

2019/7/20(土) 一日中ダウン
微熱もあり、ほぼ一日中寝ていた。あまり食べないせいか、体重がかなり落ちてきた。

2019/7/21(日) 今日もダウン
前日とほぼ同じ。一歩も外に出ていない。
ただ、抗生剤が効いているのか、痛みは少なくなってきた。寝ながらイヤホンで好きな曲が聞けるようになる。
痛む箇所が臍から下のほうに落ちてきているように感じる。痛みは減ったが、この辺が不安。膿の量が若干減った。でも、ここまで調子が悪いのは?粉瘤などの化膿だけなのであろうか?強い疑問が生じる。
このまま抗生剤を一週間飲み、化膿が止まったとしても、それで治ったのだろうか?旅行先で再発しないだろうか?海外旅行保険に入ったが、日本で治療中のものが、海外で悪化した場合、保険は効かない。費用負担は恐ろしい。
臍の周囲の痛みではなく、下腹部の痛み、違和感は何だろう?
再び、「臍炎から尿膜管遺残」という個人の方の闘病記録のブログを読んでみた。関連する病名はすべて調べた。さて、この先どう行動すれば良いのか?やはり大病院が良いが紹介状と初診までの時間を要する。となると難しい。堂々巡りで結論がでない。

2019/7/22(月) 主治医(内科)の定期診察日
出社。今日は胸の病気でお世話にになっている会社近くのクリニックの定期診察日。
痛みは大分良くなった。最大を10とすると2~3。膿が少なくなった。下腹がつれるような感じ。腹を伸ばさないような姿勢のためか、背中の筋肉が痛むようになってきた。平熱。歩くのが大分楽になったが、バンドのバックルが臍にあたり痛い。
主治医の先生は、今は内科だが、経歴を見ると、有名大病院で外科医をしている。胆石、臍炎(粉瘤)の報告と臍の状態、経過の心配事を相談。先生は、皮膚科での粉瘤には疑問を呈した。
「臍は膀胱にも肝臓側にも繋がっていて、膀胱側にも痛みがあれば、単純な粉瘤ではないと思う」、
皮膚科はキャンセルして、外科に行った方がいい。外科で主治医に言われた(皮膚科から外科に移ること)といってください。」とまで、アドバイスを頂く。「尿膜管遺残」の病名がチラついた。

2019/7/23(火) 翌日外科へ、病名「尿膜管遺残症」
午後半休をとって病院へ向かう。梅雨が開けたか、汗びっしょり。歩き方の小俣に前傾姿勢、余分なエネルギーも消費するか。
午後の診察のせいか、それほど込み合ってなく安心した。
いよいよ外科。あらかじめ症状等の経緯をメモした紙を用意。文末には「なお、8月7日から3週間海外旅行を予定しています。」と入れた。あと2週間ちょい。間に合うか?
診察、入室し簡単な経緯を話したあとは、しばらく沈黙。先生は私のメモや、電子カルテをじっと見ていた。こんなに熱心に見るのは珍しいなと思った。
モニターの文字ははっきり見えなかったが、「内科」という文字は分かった。今までの経緯を見ている。CT画像や血液検査の結果のようなものも丹念に見ている。
2、3の問診のあと、寝台で、臍に何か突き刺している感じの簡単な検査をした。
「粉瘤ではなさそうですね。検査しましょう」と言いながら、検査指示のようなものをモニターに打ち込んだいた。
血液検査の検査項目の選択、そして「尿管膜遺残の疑い」という文字が目に飛び込んできた。
推定していた病名が出てきて、なにか安心した。いままで、見当違いばかりだったが、ようやく本命にあたったような安堵感。
CT、血液検査、尿検査。検査後、しばらく時間がたってから診察室に呼ばれた。

尿膜管遺残」というものですね。やっぱ、当りと身を乗り出して、先生の説明聞いた。
CT画像には明確に臍から膀胱に至る管が写っている。しかも全体に太い。説明では、膀胱に繋がっているので、管全体を取り除く手術が必要とのことだったが、旅行のあとの手術でも大丈夫と聞き安心した。
手術は3か所の腹腔鏡手術で、おおむね一週間程度の入院、とのこと。
一連の説明のあと、臍の奥のピンポン玉大の膿を切開し出す手当を受けた。へその周辺を注射で局所麻酔。普段注射程度痛みは何でもないが、一部、かなり痛い部分もあった。麻酔が効けば、切開などは痛みがない。
前回とは異なる抗生剤、胃薬、塗薬が処方され、一週間後に診察予定となった。
なお、傷口はシャワーで綺麗にし、ガーゼの表面が加工されたパットの様なものに抗生剤をぬり、患部にあてるというものだった。
今回の粉瘤→尿膜管遺残の診療科、方針が決定したので、先週来の皮膚科の2つの予約をキャンセル。さっぱりした。

まっ、これで強い痛みが発症した7月15日から、外科での病名確定を受けた7月23日まで9日間の苦闘に一つの休止符が打たれた感じ。
この後も、炎症が静まるまでの手当、そして手術。手術も事前の検査から退院まで。あれこれと盛りだくさんだろう。でも良性の尿膜管の摘出だから、悪性で重篤なものと違い、安心とはいかないけれど、深刻ではない。
受診する医師や受診科によって、発症から病気の特定まで直線的には行かない。
たった、9日間のことだった。だが、2日半会社を休み、4人の医師(主治医のアドバイスを含める)にかかわり、
病名も、臍炎、粉瘤、尿膜管遺残症と3回目でたどり着いた。

なお、尿膜管遺残症の発症率は2%程度、20~30才台の男性に好発するらしい。(当方、65才♂)
常に疑問をもち、探求して素早く行動しないと大変なことになる可能性がある。と教訓を得た。

<了>

1.脂肪肝(初期の病名)から胆石症へ ~激痛から病名確定までの8日間の苦闘~

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 以前、風邪をこじらせ、旅行直前まで行けるかどうか、はらはらした経験があるが、今回も同様、出発日が近づいた時期に2つの病気になった。
いずれも当初の見立てに疑問が残り、「発症から病名確定」に至るまでの時間と、精神的な負担が、これほど大きいとは思わなかった。病院を変え、診療科を変え、いったい何の病気なのか?相当な難病や極めて珍しい病気ならともかく、比較的多い病気なのに。。。
もし、私と同じような症状のある方の参考になればと記録を記載した。

このブログは次の2部構成になっています。

1.脂肪肝(初期の病名)から胆石症へ ~激痛から病名確定までの8日間の苦闘~
2.粉瘤(初期の病名)から尿膜管遺残症へ ~激痛から病名確定までの9日間の苦闘~


1.脂肪肝(初期の病名)から胆石症へ ~激痛から病名確定までの8日間の苦闘~

欧州旅行の出発日は2019年8月7日。出発まで50日前に発症。以下、病名確定までの8日間の記録。

6/17(月)一度目の痛み
会社で通常通りデスクワークをしているとき(午後2時ごろ)、両胸の肋骨あたりが縛られるような痛が始まり、脂汗が出る強い痛みになった。
下部の胸が締め付けられるような痛みのため心臓の何らかの疾患か、尿管結石の時と同じような痛みのため胆石発作かと思った。胆石は今年1月に尿管結石の手術前CT検査で、胆石があることを泌尿器科の医師から知らされていた。
痛みは、次第に右の背中から腰にかけての場所に移ったが、4時間後の午後6時にはスーット完全に、一気に痛みは解消。痛みが帰宅途中の車中で解消したため翌日、病院へ行くことにした。
その日はそれ以外特に変わったことはない。

6/18(火)内科初診(病名:脂肪肝、痛みの原因は不明)
翌日、会社を休み、地元の病院・内科を受診。火曜日担当の30代の医師。問診後、CT、心電図、血液検査、尿検査。
診察、検査の結果、「脂肪肝」と診断される。CT画像を見ると肝臓の表面がざらざらしているような感じで、これは脂肪肝の特徴と言われた。肝臓の数値γ-GTPが基準値の10倍、750になっているので、節酒、できれば禁酒しなさいとの指示。一か月後再診し状態をみましょうとのことだった。
これまで何十年も毎日晩酌していたので、「脂肪肝」はある程度納得した。
「健康を維持するアルコール量」のサイトでは、1回の飲酒でアルコール20ミリリットルまでとあった。
比重0.8、アルコール分5%の強めのビールにすると500ミリリットル。ちょうどロング缶1本に相当する。通常のビールだと、ちょっとオマケして大瓶1本。土曜日、日曜日それと親爺たちとの呑み会、3日間/週は500ミリリットルの缶ビールか大瓶一本にしようと決めた。
痛みについては、不明とのこと。
胆石があり、強い痛みだったため、これが原因しているのでは?と質問したが、CT画像に写っていなく、痛みはみぞおちに起こる、とのことで否定された。
帰宅後、脂肪肝はいいとして、「痛みの原因が不明」は困った。もし、旅行中、痛みに襲われて現地で入院なんていうことになったら。。。
旅行は台無しだし、経済的な負担は計り知れない。
少なくとも病名を確定しないと対処のしようがない。で、どうするか?散々思いを巡らし、結論的には、「大病院に受診したい」の一点になった。
でも、紹介状がいる。救急車で向かえば別だが。どうしたものか。

6/21(金)二度目の痛みと通院
明け方から違和感を感じ、朝食後、5時過ぎから7時ごろまで強い痛みがでた。
今回は右の背中から腰にかけての場所。前回よりもやや弱い痛みだが、やはり耐え難い痛み。
尿管結石と同じように、どのような姿勢をとっても痛み襲ってくる。思わず唸ってしまう。
また、強い痛みがあり、脂肪肝どころでなく、確かに何かの病気だとショックだった。「旅行はダメか」と頭をよぎった。
会社を休み、朝一で、2度目の通院。
受付で問診票を書かされる。継続案件なのになぜ全く同じものをまた書くのだろうか?と思った。
検査は尿検査のみ。今日担当の医師はどこか自信なさそうな若い(20才代?)医師。この医師は週一回だけの担当医。尿検査は異常なく、CT画像でも異常は見られないとのことで、「痛みの原因はわかりません」だけで、あとは黙ってしまう。
海外旅行を一か月後に控えているので、このまま不明では、不安だ。
病院を変えるしかないかな?と言う思いが増々強くなった。
不満げな顔をしていたら、若い医師は、「痛みが尿管結石に似ているのであれば、泌尿器科でみてもらってもいいですか?」とのことで、泌尿器科へ。

泌尿器科の先生は今年1月に尿管結石で手術していただいた先生。
「僕の所へきても何も(尿管結石)ないよ」と笑われた。
この先生とは2度の衝撃波破砕術、その後尿道口から器具を挿入して結石を破砕、取り出す(TUL術)で懇意にしている(私が勝手に)先生で、「総合病院に紹介状を書いてもらった方がいいでしょうか?」と投げたら、「ぼくから、連絡(内科に)しておくよ。」と言ってもらった。

再び内科へ。すぐに私の希望した総合病院に紹介状を書いてもらった。
帰宅後、早速予約、総合病院の肝・胆・膵内科へ、最短で7月10日。20日間も先だ。
ま、大病院で診てもらえば安心だ。でも、何か病気が見つかれば旅行はどうなるか。ともかく最短で動くしかない。

6/22(土)大便、小便の色
午前中、灰色の大便が出てビックリする。全く色味がなくモノトーン。
小便は今週月曜日から濃い黄色からヤマブキ色になっていた。
すい臓がんで亡くなった兄が、がん発見のきっかけになったのが大便の色(白っぽい色)だったことを知っていたので、ただ事でないと深刻になる。
病院は月曜まで待たねばならない。いろいろネットで調べたり、考える。
やっぱり知る限り胆石か、ガンか、その他の重大な病気か。。。
胆石はCTに写っていない、ガンは初期ではこんなに激しい痛みはない、何だろう?

6/23(日)小便の色
小便は琥珀のような透明な茶色になる。
小便の色が濃くなり、緊急に診察、検査してもらわないと、と焦る。総合病院の診察まで半月以上、放置しては大変だ。胆管で詰まって、胆汁が腸側へ流れていない。この結果、大便は色がなく、血液に流れた胆汁の色で、小便が褐色になる。
「胆管閉塞」と自己診断。黄疸や発熱がないからまだ大丈夫と更に高度な自己診断だ。

6/24(月)総合病院へ緊急受診を依頼~胆石症と確定
9:00に会社から総合病院に電話。症状を話し、緊急で診てくれるくれるように要請。
だが、紹介先の病院の医師からのものでないと受付られないとマニュアルどうりの回答。
制度も分からないでもないが、患者が緊急と思っても門前払い。なにか悔しい。
仕方ないので、会社を早引けして地元の病院へ。こちらの医師から緊急扱いの連絡をしてもらおうと向かう。
三度目の内科になるが、また問診票を書かされる。全く同じ内容を書き、受付の女性に「3度目の問診票ですよ」と思わず文句を言ってしまった。
今度は40代の女性医師。エコー、血液、尿検査。
そう、ネットで調べたが、胆石はCTで写らないことがあるが、エコーは信頼性が高いと知っていた。
エコーの結果、胆石は無いことが分かった。
この医師の説明では、胆石が一時、総胆管で詰まり、現在は十二指腸側へ落ちている可能性が大であり、緊急性はないとのことで、7月10日の受診で問題ないとの説明。
次のようにステップを踏んで、症状と検査結果を明確に説明されたので納得した。(ただし、6月18日の胆石が写っていなかったというCT画像については言及がなかった)

日付           6/17       6/21       6/22       6/24
症状           発作痛   発作痛    白色便  
胆石       あり        あり        あり        なし
検査           CT         CT                        エコー
γ-GTP        750                                    1115

        (以後のγ-GTP   7/17:307 7/23:127)

γ-GTPは1000を超えていることもあり、予約日に今回の血液検査の結果を持参してくださいと指示あり。
6/18、6/21の内科の医師はその時点で胆石なしとしたが、今回の3人目の医師は1月以来胆石があり、2度の発作、胆石が詰まって白便、本日以前に十二指腸側へ落ちたと結論

2019/7/10(水)総合病院肝・胆・臓内科初診
地元の病院から提供された6月18日のCT画像に、十二指腸近辺の総胆管に胆石が写っていた。地元病院では、2回も2人の医師から胆石は写っていませんと言われたが。。。誤診か
血液検査のγ-GTP等の異常値も胆石の位置によって起こることがあるとのこと。
一連の痛み、便の色、血液の異常数値、などすべて胆石によるもので、現在は、十二指腸へ落ちたとの明確な診断。念のためMRI、血液検査を受けることになった。
MRIは、旅行から帰って来てきた、8月末、次の診察は9月の頭の予約とした。

今回の胆石症事件は、これで、まずまず収束。

6月17日の発作痛から、2度目の発作。白色便を経て6月24日の3度目の診察時前には十二指腸へ。
たった、8日間のことだった。だが、3日間会社を休み、4人の医師(その後の総合病院の医師を含める)にかかわり、病名も、脂肪肝(痛みは不明)、病名不明、胆石症と3回目でたどり着いた。
最初のCT画像の胆石の見逃しが、この混乱を招いたか。

<了>

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悲  報

 今朝のノートルダム大聖堂の大火災ニュースには言葉が出なかった。
勢いのあるオレンジ色の火柱は大聖堂屋根全体から立ち上り、悲惨な映像に絶望感しか残らなかった。
一瞬、9.11のワールドトレードセンタービルの倒壊映像や、東日本大地震の町を飲み込む津波映像と同じ感覚を起想させた。
ボヤなら理解できたが、あれほどまで痛まし姿は現実とは思えなかった。
ニュース映像は、悲痛にみちた、祈るパリ市民の姿をとらえた。
貴重な文化遺産の火災というだけではなく、カトリック信者には、さらに耐えがたい。

ノートルダム寺院
                                                            (2012年冬撮影)
私とノートルダム

 2012年、初めてのヨーロッパ旅行でパリを訪れ、ノートルダム大聖堂も見学した。
大聖堂では、石造りの長い螺旋階段を上り屋上テラスまで行った。途中、ニュース映像にもあった太い木組み、木の床など複雑な内部は木材が相当量使われていたのを覚えている。
 大聖堂で特に興味を引いたのはガーゴイル。あの奇妙な像は、幼いころ見た「ノートルダムのせむし男」の妖怪観と同じだからであろうか。
この旅行を契機としてフランス好きになり、2015年、2017年とパリをはじめ南フランスを訪れた。

観光の観点の変化

 今回の災害で、今までとは違った観光の観点に変化しそうだ。
いままでの文化遺産の見学では、遺産の尊さを思う観点が足りなかったように思える。
ノートルダム大聖堂がそこにあってあたり前、という感覚だ。
しかし、形あるものは永遠にそのままの形ではいられない。今、眼前の文化遺産をもっと尊く、今でしか見る機会がないかも知れないと思うようにしよう。
しっかりと歴史的背景を理解し、その貴重性を理解、鑑賞するようにしたい。

復 興

日本の建造物で観光の目玉の一つである鹿苑寺金閣。金閣寺も1950年に放火により焼失。
数年前に見学したが違和感なく見学することができた。各種の専門家の労力のお蔭である。
マクロン・フランス大統領はノートルダム大聖堂を5年で復興したいと述べられ、寄付金も1000億円近くも集まっているようだ。
今年8月にパリに行く予定で、予約したホテルは奇しくもノートルダム大聖堂のそば。
まだ、炭の匂いがあるかもしれないが、訪れ、私なりに復興を祈りたい。



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     ~ 目次 ~
   1.烏來について
   2.いい温泉・檜風呂、温泉達人がいっぱい
   3.養生鍋、漢方、健康達人がいっぱい
   4.行楽地のご紹介


1.烏來について
烏來は原住民のタイヤル族の言葉で「温泉」という意味だそうだ。泉質は弱アルカリ性の無色透明・無臭。景色も渓流が清く、山は緑につつまれ大自然がいっぱい。
正月の早朝、浴場で外気(窓を大きく解放してある)にあたっても寒くないくらい温まる。
台湾でも裸で温泉にはいることができるのは烏來くらいで、他は水着着用だそうだ。(裸で入れる温泉を現地では「日式温泉」という。)烏來は台北から1時間あまり。気ままな個人旅行で寒い日本を離れ、ちょっと小龍包(ラーメンも)と温泉に行ってくる時代になったか。
現地の人は日帰りでの利用が多い。温泉街の端に大駐車場があり大型バスや乗用車が一杯。そのため10時ごろより人が増え、夕方7時ごろには閑散としてくる。街の人はタイヤル族の方も多いそうだ。烏來は、なにしろ健康そのもの。食べ物、飲み物は、薬膳、養生、漢方、などの字面がならび、人も優しい。温泉で心をリラックスさせ、食べ物で体調を整える。

【中心街「老街」】

烏來の」橋

2.いい温泉・檜風呂、温泉達人がいっぱい
大浴場は日本と同じように裸で入れる。風呂は熱めの湯、温めの湯、水風呂があり、温めの湯には、打たせ湯や泡風呂もある。その他、シャワールーム、休憩室、マッサージ室(有料)も完備さている。大浴場の外部に面しているところは、大きく開口されて外気が入る。裸で立つと風が気持ち良い。
大浴場に入ってみると達人がいっぱいだ。湯船から出てストレッチしている人。お茶を飲みながら風にあたっている人。リクライニングで休んでいる人、打たせ湯で長々肩をマッサージしている人。。。皆さん温泉の楽しみ方を熟知している達人だ。
ホテルの個室では檜風呂が楽しめる。やはり風呂は檜風呂に限る。見た目も暖かく、なにより香りがいい、癒される。これで私も達人になった。

【客室内の檜風呂】
檜風呂2

3.烏來は健康達人
烏來に来て、料理はどれも旨かったが、中でも竹筒飯が特筆される。もち米のねっとりとした旨味の中に、クルミや木の実が入り、竹の香りが一層際立たせる。なんとも食が進む。
また、馬告の入った卵料理の「馬告煎蛋」は初めて食べた。馬告とはレモングラスの香りと胡椒の様な苦みがし、料理に混ぜたり、スープに入れるとのこと。馬告は烏來の特産で日本では手に入らないらしい。それと養生鍋だ。種類は色々とあって鶏肉、羊の肉、牛肉、椎茸、木の実、など多品種が入っている。漢方で体に良い物だらけ。烏來は健康の達人でもある。
余談だが店でビールを注文したら、店の前の酒屋で買ってきてくれとのこと。店ではアルコールは置いていない。持ち込みだ。安くて明朗会計。

【店頭の養生鍋】

烏來養生鍋屋2

4.行楽地の紹介
老街(烏來温泉の中心街)から桶後渓に架かる烏來橋を渡るとトロッコ電車の乗り場への階段がある。階段はステップが狭く、かつ急こう配。それが、まだかまだかと長く続く。
息を切らせ乗り場へ。かつては木材運搬用だったが、現在は観光用。「烏來駅」から「滝」駅までの一区間、1.5㎞、5~6分で到着してしまう。
すがすがしい風景を眺めて、あっという間に「滝」駅に到着。そこからすぐの所にロープウェイの乗り場がある。ロープウェイは高低差165メートルを3分弱の運行。
山頂に着き、少し行くと「雲仙楽園」というアミューズメントテーマパークがある。
園内には、雲仙大飯店(ホテル)の大きな建物のほか、プール、アーチェリー、水生植物園、原野地区、湖、原住民を模る人形像など、盛りだくさんだ。山頂にこんなに多くの施設あるとは思わなかった。シーズンオフのため観光客も疎らで、施設も整備中の所が多かった。

【トロッコ電車】

烏來トロッコ2

気ままに正月、烏來に来たが本当にいい所だ。個人旅行はいい。なにも制約されずに好き勝手だ。温泉も食べ物も当たりだった。印象は温泉達人、健康達人の街だ。



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