母です。

サンセバスチャンからサラゴサに向かうとき、バスが降下していくのがわかります。セコビヤからサンセバスチャンに向かうときは、平原をゆるやかに走っているように見えました。サンセバスチャンの緯度が高く、サラゴサが低いということでしょう。トンネルが4個ありました。山と谷が織りなす景色が今までにない美しさでした。

バスからの風景
IMG_1135


サラゴサではアルハフェリア宮殿を楽しみます。カトリック両王の居城となった城をゆっくり観賞してイサベルの痕跡を探してきます。

ピラール聖母教会
IMG_1142

 

1474年、イサベルはカスティーリャ・レオン王国の女王になりました。結婚して6年の月日が流れました。フェルナンドもアラゴン王国に戻り統治してはイサベルのもとに帰る生活でした。この頃からポルトガルに内乱が起き、フランスが介入して王位継承争いをすることになります。

ラ・セオ(大聖堂)
IMG_1154


幸せを願っていたのに、ごたごたに巻き込まれて結婚生活に支障はなかったのでしょうか。

イサベルは大好きな夫フェルナンドを、陰になり日向になり支え続けます。軍資金集めや支援者の獲得に奔走する毎日です。東西南北に馬を走らせ馬上の人になります。そのせいで、

懐妊しては流産の繰り返しです。ここまでするの、それで幸せなのイサベルと思います。

フェルナンドは戦いの戦略に秀で、統率力もありイケメンでした。浮気もたくさんします。でもイサベルは愛していると言うより、愛してしまったのです。

ピラール聖母教会からラ・セオを見る。
IMG_1159


1478年 第二子ファン誕生。1479年 ポルトガルと和睦。フェルナンド二世はアラゴン王に即位します。この戦争は、アラゴンの協力によって勝利できたのです。能力のある人と結婚したねイサベル。

イサベル一世とフェルナンド二世は、共同統治を許されます。ローマ教皇から「カトリック両王」の称号を賜りました。スペイン統一の瞬間です。

アルハフェリア宮殿
IMG_1201


アルハフェリア宮殿は、1492年レコンキスタ終結後教会に改築されましが、改修されカトリック両王の居城になります。王座があった二階の広間は松かさ装飾の各天井が見事です。イスラム教とキリスト教の建築様式が融合したムデハル様式の宮殿です。

ムデハル様式の建築がきれいです。
IMG_1204

IMG_1177

松かさ装飾の各天井
IMG_1185

家系図
IMG_1193

中庭のオレンジの木
IMG_1176

地下から二階までいくつかの部屋がありましたが、カトリック両王の生活を感じさせるような物がなくガッカリしました。ムデハル様式の建築の素晴らしさは見事です。中庭のオレンジの木が当時のままに植えられていると聞き、イサベルの小さなこどもたちが遊ぶ姿を想像しました。長男ファン13歳、次女ファーナ12歳、三女マリーア10歳、四女カタリーナ5歳です。家族を大切にするフェルナンドを中心に、愛情あふれるイサベルの姿がそこにありました。

中庭
IMG_1178

この時代の二人は、カトリック両王として自信に満ち仲睦まじい夫婦でした。フェルナンド二世は浮気するけど、イサベルを尊敬し大事にしました。「君が一番だよ」オーラを常に出していたのでしょう。ずるいなぁと思うけど、本当にそう思っているように見えたら騙されたふりをするのもいいかもしれないですね。イケメン、モテ男のフェルナンド二世。イサベル、幸せな結婚だったの?


<時代は変わって1498年、母イサベル47歳の時です。ポルトガルに二度嫁いだ長女イサベルが、サラゴサのある宮殿で出産します。ミゲール王子を産んだ後に長女イサベルは亡くなりました。産褥死です。親としてこれ以上の辛いことはなかったでしょう。

サラゴサでのんびり出来なくなりました。コロナウイルスが危ない。スペインは、感染が1639人になりました。1日に609人増。なんとか帰国しなければ。


♪にほんブログ村に参加しています!いいね!と思う方はクリックで応援お願いします♪


にほんブログ村