個人旅行大好き!村山さんちの家族旅行記!

ツアーを予約して、集団でゾロゾロ海外で観光。帰国して、思い出すことはなんですか? そういえば、何したっけ? そんな経験ありませんか? そうです。添乗員に着いていくのはラクですが、そんなに覚えてないことが多いんです。さらに、 そこは興味ないんだけど^^; ってことないですか? どうせなら、自分が本当に興味あるとこだけ、訪れたいですよね!? そんな方に読んで欲しい、完全個人手配の旅行記です!

2019年10月

こんにちわ(*^-^*)


3月にスペインをぐるっと1周することに決まりました。

5月1日にスペイン直行便(イベリア航空)の航空券を10万五千円でゲット!
久しぶりの直行便♬(´∀`*)

スカイスキャナーで最安値の日にちを調べました。
マドリードIN、マドリードOUTで3週間の旅です♬

大好きなスペインを1周出来るなんてしあわせ💛
たくさん食べて、飲んできます♬
スペインの郷土料理とバルめぐりの旅。スペインのワイン楽しみ💛

日程は
マドリード空港(1泊)⇒アビラ(2泊)⇒セゴビア(2泊)⇒サンセバスティアン(2泊)⇒サラゴサ(2泊)⇒コルドバ(2泊)⇒ロンダ(2泊)⇒マラガ(2泊)⇒グラナダ(2泊)⇒トレド(2泊)⇒マドリード(1泊)の順で周ります♬
たぶん、この周り方がベストだと思います(*‘∀‘)
なるべく長距離移動はしたくなかったので、地図を見ながら検討しました!
各都市の移動方法は、旅の途中でご案内します。

今回はパラドール3か所(アビラ、ロンダ、マラガ)で泊まります。
スペインのホテルを検索していて思ったことがあります(´・ω・`)
マドリード、バルセロナ以外の都市ではホテルがめっちゃ安い!★5ホテルが、ツインルームで13,000円とか(´▽`)
★4だと8,000円くらいで泊まれます(^^♪
やはり、大都市ではホテルの値段が高め・・・地方へ行けば行くほど値段が安くなります。当然かな?
せかせかと忙しい旅でなく、たっぷり時間をとって、ゆっくり観光してきます。


とりあえず、ご報告まで。


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フェルメール「真珠の耳飾りの少女」IMG_0490

1.はじめに
 2019年8月17日、マウリッツハイス王立美術館に行ってきた。17世紀オランダ黄金時代の傑作ぞろいと名高い美術館だ。フランスまでは何度も来ていたが、オランダは初めてであった。訪ねた美術館は、デン・ハーグでは、このマウリッツハイス王立美術館、エッシャー美術館、アムステルダムでは、アムステルダム国立博物館、ゴッホ美術館である。
マウリッツハイス王立美術館は、1822年に王立美術館として開館。アムステルダム国立博物館と並びオランダを代表する美術館。17世紀建造の美しい建物内にフランドル絵画の名作が揃う。日本でも有名なフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」や「デルフトの眺望」、レンブラントの「テュルプ博士の解剖学講義」などオランダ黄金時代の至宝の数々を鑑賞できる。


【マウリッツハイス王立美術館外観】
外観IMG_0489


2.チケット予約など
【美術館名】マウリッツハイス王立美術館
      The Royal Picture Gallery Mauritshuis )
【所在地】 Plein 29 2511 CS Den Haag オランダ
【最寄り駅】デン・ハーグ中央駅(徒歩10~15分くらい)
【チケット】できれば事前購入しておいた方が安心
  入場料 (2019年10月現在)
  大人 15.5ユーロ
  19歳未満 無料
  日本語マルチメディアガイド 3.5ユーロ

  マウリッツハイス王立美術館公式ホームページ

ホームページには、886点(2019年10月現在)の収蔵作品が高解像度で撮影され、拡大しても細部まで見られます。

【入場券と館内案内図】
入場券とカタログIMG_0887

【豪華な館内】
館内IMG_0514

3.作品
ヨハネス・フェルメール
(Johannes Vermeer  1632年10月-1675年12月)
バロック期を代表するオランダの画家。レンブラントと並ぶ17世紀オランダ黄金時代の代表画家である。 窓からやさしく差し込む光と、反射して輝くところを明るい絵具の点で表現する技法が特徴的。

【フェルメール「真珠の耳飾りの少女」】
フェルメール「真珠の耳飾りの少女」IMG_0490
ヨハネス・フェルメール「真珠の耳飾りの少女」Johannes Vermeer, Girl with a Pearl Earring, c. 1665

 この作品はフェルメールの最も有名な絵画。光を巧みに操る達人で、少女の顔の柔らかさと、彼女の湿った唇のかすかな光がそのことを表している。輝く真珠の光も微妙なニュアンスで見入ってしまう。
また、ターバンの鮮やかな青は「フェルメール・ブルー」と呼ばれている。ラピスラズリという天然石
に含まれる成分から、このウルトラマリン色の顔料が作られる。

【館内風景】
館内IMG_0492

 館内は空いているので、上記の展示風景のようにゆっくり、間近で鑑賞することができる。


■ レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン
(Rembrandt Harmenszoon van Rijn 1606年7月15日-1669年10月4日)

 バロック期を代表するオランダの画家。光と影を巧みに構成して若かくして成功を収めているが、
その晩年は浪費癖もあり困窮している。

レンブラント「自画像」
レンブラント「自画像」IMG_0499
レンブラント・ファン・レイン「自画像」Rembrandt van Rijn, Self-Portrait, 1669

 多くの自画像を残しているが、この有名な作品は最晩年のもの。この作品の厚い絵の具の層は、さまざまな人生の出来事を塗りこめてあるようだ。レンブラントの最後の作品かも知れないと言われている。


【レンブラント「テュルプ博士の解剖学講義」】
レンブラント「解剖学」IMG_0493
レンブラント・ファン・レイン「テュルプ博士の解剖学講義」
Rembrandt van Rijn, The Anatomy Lesson of Dr Nicolaes Tulp, 1632

 この絵画はレンブラントが25歳のときテュルプ博士から依頼を受けて制作した。外科医を中心に三角形の構図になっている。周りの人々は医師や医学生ではなく名士を描いている。彼らの視線がバラバラであり、いろいろ議論されている。実物そっくりの卓越した肖像画で偉大な才能を示している。


【レンブラント「笑う男」】
レンブラント「笑う男」IMG_0498
レンブラント・ファン・レイン「笑う男」
Rembrandt van Rijn, The Laughing Man, c. 1629 - 1630

 若い時期の作品で、目を輝かせて曲がった歯をむき出しにして笑っている。筆使いは屈託なく自由に描いている。


【レンブラント「羽をつけたベレー帽の男の顔」】
レンブラント「羽の着いたついた帽子の男」IMG_0495
レンブラント・ファン・レイン「羽をつけたベレー帽の男の顔」
Rembrandt van Rijn, 'Tronie' of a Man with a Feathered Beret, c. 1635 - 1640

 羽毛のベレー帽と金の刺繍が施されたマントを着ている兵士。光は顔に明るく落ちており、金属の防具に美しい光沢を投げかけています。光と影の調和が、その空間の雰囲気を醸し出している。


【レンブラント「休息中の旅人」】
レンブラント「休息中の旅人」IMG_0501
レンブラント・ファン・レイン「休息中の旅人」
Details: Rembrandt van Rijn, Travellers Resting (The Rest on the Flight into Egypt?), c. 1629 - 1630

 建物の影になった所からからの明るい光は、演劇の舞台を思わせる劇的な効果を生み出している。
レンブラントは聖書を題材としている場面を描いているが、この絵もそうだろうか?


【レンブラント「シメオンの賛歌」】
レンブラント「メシオンの賛歌」IMG_0497
レンブラント・ファン・レイン「シメオンの賛歌」
Rembrandt van Rijn, Simeon's Song of Praise, 1631

 シメオンからあふれる神聖な光は、イエス自身から輝いているように見える。レンブラントがこのシーンを描いたときは25歳であった。


ジャン・シメオン・シャルダン
(Jean-Baptiste Siméon Chardin, 1699年11月2日 - 1779年12月6日)
フランスの画家。 中産階級のつましい生活感のある静物画の作品が知られている。台所の食器類や食材などを題材とする素朴な画風。 題材や写実表現など、17世紀オランダ絵画の影響が顕著に見られる。


【シャルダン「銅鍋、チーズ、卵のある静物」】
シャルダン「銅鍋チズ卵」IMG_0504
ジャン・シメオン・シャルダン「銅鍋、チーズ、卵のある静物」
Jean-Baptiste-Siméon Chardin, Still Life with Copper Pot, Cheese and Eggs, c. 1730 - 1735

 この作品は17世紀のオランダの静物のように見えるが、18世紀にパリの画家シャルダンによって描かれている。彼は、大きな銅鍋、2つの陶器製のすり鉢、チーズ、卵など、日常的なものを組み立てて、柔らかな光の中に配置しいる。特に、銅鍋の温かい素朴な質感は、ほのぼのとさせる。


ジェラルド・テル・ボルチ
(Gerard ter Borch 1617年 - 1681年12月8日)
バロック期のオランダ画家。17世紀のオランダで裕福で中流階級の生活の雰囲気を忠実に再現した画家。
【ジェラルド・テル・ボルチ「手紙を書く女性」】
ジェラード「手紙を書く女」IMG_0491
ジェラルド・テル・ボルチ「手紙を書く女性」
Gerard ter Borch, Woman Writing a Letter, c. 1655

 手紙を書いているこの女性は、フェルメールのような感じの作品。
女性はテーブルに座って、高価な東洋のテーブルクロスを押し上げ、手紙書いている、中流階級の生活の雰囲気が分かる。


ピーテル・パウル・ルーベンス
(Peter Paul Rubens1577年6月28日 - 1640年5月30日)
 バロック期のフランドルの画家。ルーベンスは大規模な工房を持ち、歴史画、肖像画、風景画など多数の作品を残している。また、外交官としても活躍している多彩な画家。

【ルーベンス「老女とろうそくの少年」】
ルーベンス「老婆とろうそくの少年」IMG_0511
ピーテル・パウル・ルーベンス「老女とろうそくの少年」
Peter Paul Rubens, Old Woman and Boy with Candles, c. 1616 - 1617

 老女は、ろうそくの光から目をそらし、ろうそくに手をかざしている。背後の少年は、ろうそくを持って火をつけようとしている。この発想はルーベンスがカラヴァッジョの作品をみて描いたと言われている。


ピーター・ファン・アンラート
(Pieter van Anraedt  c.1635 – 13 April 1678)
オランダの黄金時代の画家。この画家は、ジェラルド・テル・ボルチの影響を受けている。

【ピーター・ファン・アンラート「土器の水差しと粘土パイプのある静物」】
ピーターアンラード土器の水入れIMG_0509
ピーター・ファン・アンラート「土器の水差しと粘土パイプのある静物」
Pieter van Anraadt, Still Life with Earthenware Jug and Clay Pipes, 1658

 この静物画は、アンラートの知られている作品はすべて肖像画であるため珍しい作品。
彼はこの絵を描いたとき、若かったが、土器の水差し、グラス、タバコとパイプなど、各素材の質感を素晴らしく描いている。左から入る柔らかな光は、各静物の立体感をだしている。



ウィレム・カルフ
(Willem Kalf, 1619年-1693年)
 17世紀後半に活躍したオランダの静物画家。初期の素朴な作品から、次第に華美な静物画へを描く。

【カルフ「シルバープレートにフルーツとワイングラスのある静物」】
カルフ「フルーツとワイングラス」IMG_0502
ウィレム・カルフ「シルバープレートにフルーツとワイングラスのある静物」
Willem Kalf, Still Life with Fruit and Wineglasses on a Silver Plate, c. 1659 - 1660

 グラスの質感をはじめ、果物、布、金属類の存在感ある描写は目を引く。豪華な高級感ある作品に
なっている。


ピーテル・クラース
(Pieter Claesz, 1597年頃 - 1660年1月1日)
オランダ黄金時代に活躍した画家。

【ピーテル・クラース「グラスのある静物」】
ピータークラウス「グラスのある静物」IMG_0519
ピーテル・クラース「グラスのある静物」
Pieter Claesz, Still Life with Tazza, 1636
 思わず近寄って見て目を凝らしたくなるほど、各素材が描きこまれている。また、単色に近い画面は
優しい雰囲気を醸し出している。

【ピーテル・クラース「ろうそくのある静物」】
ピータークラウス「ろうそくのある静物」IMG_0521
ピーテル・クラース「ろうそくのある静物」
Pieter Claesz、ろうそくのある静物、1627
 色数を制限しモノトーンに近い色彩で描く静物画を専門としている。
ろうそく足の真鍮、グラスのワインなど、さまざまな素材の質感を完全に表現している。また、ろうそくの光と反射、影の描写は見事だ。


ハンス・ホルバイン
(Hans Holbein, 1497年/1498年 - 1543年)
ルネサンス期の画家。ドイツの画家ハンス・ホルバインは、イギリスに永住し、傑作を残している。

【ハンス・ホルバイン「ロバート・ チェズマンの肖像」】
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ハンス・ホルバイン「ロバート・ チェズマンの肖像」

 驚くべき絵画技法は、男の意図的な視線、光沢のあるサテン、真鍮の鈴などに見られる。

<了>

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ひまわりvangoghmuseum-s0031V1962-800
 2019年8月15日アムステルダムのゴッホ美術館を訪れた。ゴッホを知ってから50年の歳月が流れていた。
 ゴッホとの初めての出会いは、中学生の頃、滝沢修主演の「炎の人ゴッホ」の舞台をテレビ中継で見たときだ。舞台では、寝食を忘れ、狂人のごとく没頭して絵を描く姿は鮮烈であった。「絵画に人生の全てをつぎ込む」ということは中学生の私には強烈な興味をもたらした。
 小林秀雄翻訳の「ゴッホの手紙」3巻を夢中になって読んだのを覚えている。テオへの手紙の中では、描いた絵のことを延々と語ったり、また、送金を受けた金で購入した画材の細かい明細の記述など、人間ゴッホに出会えるものだった。
 以来、日本での展覧会で部分的にしか作品を見られなかったが、今回訪れたゴッホ美術館は、ゴッホの作品や生涯の全容を見、知ることができ大きな喜びだった。画集と違い間近でマチエールを確認でき、絵の具の量、つやを明確に体感できた。
ぜひ、機会があれば訪れて頂きたい美術館だ。

注意事項:ゴッホ美術館は撮影禁止のため、当ブログに掲載する作品は全てゴッホ美術館公式ホームページより、利用規約に則り掲載しています。また、文章のなかに、ゴッホ美術館の解説を引用していますが、解説の一部であったり、誤訳の可能性もあります。正確には原文の参照をお願いします。なお、引用部分は青字で記載しています。


【ゴッホ美術館外観 黒川紀章が設計】
美術館外観_0360
【所在地】
 Museumplein 6, 1071 DJ Amsterdam, オランダ
アムステルダム国立美術館や市立近代美術館が集まるミュージアム広場に面している。

【チケット予約】
ゴッホ美術館はチケット予約が必須。下記アドレスから簡単に予約できる。(日本語選択あり)
    ➡ チケット予約
なお、予約と同時に、マルチメディアガイド利用の有無(5ユーロ)と寄付金の有無の選択がある。

【入場料】
大人19ユーロ、18歳未満無料(2019年10現在)

【日本語マルチメディアガイド】
多数の作品の丁寧な解説が聞けるのでお勧め。(5ユーロ)

【事前下調べ】
    ➡ ゴッホ美術館公式ホームページ
所蔵作品の解説はもちろん、ゴッホの生涯、関連する情報が満載。(日本語なし)

【ゴッホ美術館館内風景】
館内_8356

【ゴッホ美術館ショップ】
ゴッホ美術館ショップIMG_8357


【ゴッホ美術館フロアマップ】
ゴッホ美術館プロアマップIMG_0886


3.時代順作品
 ゴッホはおよそ840点の油絵をその生涯に残したといわれている。そのうち、ゴッホ美術館には油絵が約200点強所蔵されている。世界最大の所蔵量を誇る美術館である。
このブログでは、その中からぜひ見て頂きたい作品60点を厳選(私選)し時代順に掲載している。

 フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh、1853年3月30日生、1890年7月29日没)は、オランダ南部のズンデルトで生まれた。父親はプロテスタントの牧師であり、付近の貧しい農家と異なり宗教やその他の教育を受けている。
小学、中学生時代は、ゴッホ美術館の解説では、「小学校時代は、時々絵を描いたが、特別な芸術的才能の兆候はまだほとんどなかった。中等学校に進学し、そこで特に言語に関して良い成績を収めた」とある。
16才の時、画商のグーピル商会に勤務する。ハーグ、ロンドン支店勤務。このロンドンで、大英博物館や国立美術館を見ており、ゴッホの絵画に強い影響を与えるフランソワ・ミレーの絵に接し感激している。また、弟テオとの文通も始まっている。
1876年にグーピル商会を解任される。その後、イギリスで教師、オランダで書店員などを短期間している。その後、神学部の受験を目指すが、あまりにも科目数が多く、挫折してしまう。勉強するより、周辺の田園地帯で長い散歩をすることを好んだらしい。
それでも、神に仕えることを熱望し、ボリナージュ鉱山地域で説教者として、病人を訪問し、聖書の朗読をする。

 ゴッホは、ボリナージュの鉱山労働者とその家族の間で生活し、貧困の中にいました。 彼は床で寝て、持ち物を分け与えました。 彼の献身は、「炭鉱のキリスト」と呼ばれるほどでした。
「そこは陰鬱な場所であり、一見するとそれの周りのすべてのものは、悲惨で死んだようなものだ。
 そこにいる労働者の大部分は、発熱のために体重が減り衰弱し青ざめた人々であり、疲れ果ててやせこけている。」 ---ゴッホ美術館の解説より。


 伝道活動を行うなかで、テオの助言もあって画家としても神に仕えることもできると確信し画家を目指すことを決意する。
彼は1880年10月にブリュッセルに移り、そこで絵画技法の勉強にとりかかることになる。


【ボリナージュのコークス工場】
コークス工場vangoghmuseum-d0370V1962-800
Coke Factory in the Borinage、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、1879年7月-8月
鉛筆、水彩、紙、26.4 cm x 37.5 cm
F-numberF1040、JH-numberJH0100、Object numberd0370V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)



【フランスの農民の授乳(ダロウを模して)】
フランス農民の授乳vangoghmuseum-d0061V1962-800
French Peasant Woman Suckling Her Baby (after Dalou)、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ブリュッセル、1880年-1881年春
紙に鉛筆、48.3 cm x 26.4 cm
F-numberF1673、JH-numberJHc.b.、Object numberd0061V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)


1881年【オランダ時代】エッテン、ハーグ、ニーウ・アムステルダム、ヌエネン

 1881年の春、経済的理由でゴッホは両親と再び暮らし、農夫や田園風景を描いていたが、両親は長男が画家の道を選んだことに、非常に失望していた。また、その頃、従妹の未亡人に求婚し、拒絶されている。家族関係は上手くゆかず、父親との口論の末、エッテンからハーグに転居した。
この時期から弟のテオはゴッホへ経済的支援を始めている。
ハーグでは親戚関係にある画家アントン・モーヴから絵画技法の教育を受けている。この頃、子連れで妊娠中の売春婦シーンと生活をしていたが、弟テオからも反対される。シーンと離別後、ドレンテの田園地帯に向かい、荒れ地と泥炭の風景を描いている。ミレーへの憧れを思わせる作品である。
1884年、ゴッホは父親が移り住んでいたヌエネンに帰り、ここで2年間過ごす。農夫のほか織機や、織工などをモチーフにしている。
この時期、ゴッホはテオに、「送られたお金と引き換えに、自分の作品の所有者になる」ことを提案している。そして、ヌエネン時代の傑作が誕生する。人物画の集大成として、本格的なタブローとして「ジャガイモを食べる人々』を完成させる。しかし、デッサンの正確性や色調のが暗さで評判は良くなかった。
 オランダ時代の絵画の色調は全体に暗く、印象派の明るい色彩とは全く異なる。バルビゾン派のミレーを思わせるテーマと色調だ。この時代、素描を多数残している。特にアカデミックな教育を受けずに独学だが、その素描力は秀でている。


1881年:両親のいるエッテンに戻り画家としての生活をはじめる。


【種まき(ミレーを模して)】
種まく人(ミレーを模して)vangoghmuseum-d0443V1962-800
The Sower (after Millet)、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、エッテン、1881年4月
鉛筆、ペン、ブラシ、インク、水彩、紙、48.1 cm x 36.7 cm
F-numberF0830、JH-numberJH0001、Object numberd0443V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホが大いに賞賛した画家ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)の「種をまく人」を模して制作したもの。ゴッホは種まきを人生のサイクルの象徴、「成長」、「繁栄」、「収穫」とみなした。


【キャベツと木靴のある静物】
キャベツと木靴のある静物vangoghmuseum-s0137V1962-800
Still Life with Cabbage and Clogs、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ハーグ、1881年11月-12月
パネルの紙に油彩、34 cm x 55 cm
F-numberF0001、JH-numberJH0081、Object numbers0137V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

「モーヴはいくつかの古い木靴や他の物で構成される静物を置いてくれたので、制作に取り掛かることができた」とゴッホは弟のテオに書いている。アントン・モーヴとは、当時有名な画家であり、ゴッホの従兄である。ゴッホはモーヴのアトリエで3週間を過ごし、油絵と水彩画の手ほどきを受けた。美術学生のような習作。


1882年:父親と口論となり家を出でハーグ、ニーウアムステルダムと移り住む


【杖を持つショールの老婆】
杖を持つショールの老婆vangoghmuseum-d0174V1967-800
Old Woman with a Shawl and a Walking Stick、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ハーグ、1882年3月
鉛筆、ペン、インク、水彩、紙、57.4 cm x 32.0 cm
F-numberF0913、JH-numberJH0109、Object numberd0174V1967
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

見事な描写力。両足にかかる体重のバランスと姿勢を正確にとらえている。


【刈り込んだ柳】
刈り込んだ柳vangoghmuseum-d1172S2012-800
Pollard Willow、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ハーグ、1882年7月
鉛筆、茶色のインク、水彩、チョーク、紙の上、38 cm x 55.8 cm
F-numberF0947、JH-numberJH0164、Object numberd1172S2012
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (purchased with support from the BankGiro Loterij, the Vincent van Gogh Foundation,
the Rembrandt Association and her Prints and Drawings Fund, the Mondriaan Fund and the VSB Foundation)

ハーグのゴッホの家の周りの散歩場所であった場所。枯れた柳の木を中心に、遠景に駅舎、機関車。そして陰鬱な空。悲観的な風景画。


【老人】
老人vangoghmuseum-d0378V1962-800
Worn Out、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ハーグ、1882年11月
紙に鉛筆、50.4 cm x 31.6 cm
F-numberF0997、JH-numberJH0267、Object numberd0378V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホは、ハーグで多くの人物を描き、そこで人間のプロポーション、ポーズ、表情を表現する練習をした。頭を抱えるポーズは、顔の表情まで分かる的確な描写。


【婦人の頭部】
婦人の頭部vangoghmuseum-d0203V1962-800
Head of a Woman、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ハーグ、1882年12月-1883年1月
鉛筆、石版クレヨン、紙、47.6 cm x 26.3 cm
F-numberF0931、JH-numberJH0291、Object numberd0203V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

頭巾をかぶった横向きの婦人デッサン。人物の表情が良く描かれ、その性格まで分かるような描写。


【シルクハットの老人】
シルクハットの老人vangoghmuseum-d0183V1962-800
Old Man with a Top Hat、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ハーグ、1882年12月-1883年1月
鉛筆、石版クレヨン、ペンとブラシ、インク、紙、60.0 cm x 36.0 cm
F-numberF0985、JH-numberJH0286、Object numberd0183V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホは労働者階級の外観を持つ人物を好んで描いた。 顔や表情の描写を部分的に練習している。


1883年:ニーウアムステルダムへ移住


【荒れ地の2人の女性】
荒れ地の二人の女性vangoghmuseum-s0129V1962-800
Women on the Peat Moor、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ニーウアムステルダム、1883年10月
キャンバスに油彩、27.8 cm x 36.5 cm
F-numberF0019、JH-numberJH0409、Object numbers0129V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホは、オランダのニーウアムステルダムのドレンテ村で、この農民の女性を描きました。 彼は1883年の秋に2か月間そこで過ごしています。女性たちは働いており、おそらく枯れた芝を集めています。 ゴッホは田舎の素朴な生活に魅了されました。 ゴッホは「農民の生活のすべてを描く」ために2年以上を費やした、と書いています。なお、調査によると初めは4人を描いたことが分かりました。 ---ゴッホ美術館の解説より。
ジャン=フランソワ・ミレーを彷彿とさせる感じで、空気感を共有できる。


【農場】
農場vangoghmuseum-s0053V1962-800
Cottages、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ニーウアムステルダム、1883年9月-11月
キャンバスに油彩、35.4 cm x 55.7 cm
F-numberF0017、JH-numberJH0395、Object numbers0053V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

暗い前景と明るい空のコントラストが、ずっしりと存在感を感じさせる。


1884年:両親のいるヌエネンに戻る。


【織機】
織機vangoghmuseum-d0423V1962-800
Weaver、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1883年12月-1884年8月
鉛筆、水彩、ペンとインク、紙、35.5 cm x 44.6 cm
F-numberF1115、JH-numberJH0502、Object numberd0423V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ヌエネン時代の代表作の一つ。水彩画とインクで描かれたものを含め、16作品制作した。


【ヌエネンのカルバン派教会を後にする群衆】
ヌエネンのカルバン派教会を後にする群衆-s0003V1962-800
Congregation Leaving the Reformed Church in Nuenen、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1884年1月-2月、1885年秋
キャンバスに油彩、41.5 cm x 32.2 cm
F-numberF0025、JH-numberJH0521、Object numbers0003V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホは母親を元気づけるために、この小さな絵を母親のために制作しました。母親は足を骨折し寝たきり生活でした。ゴッホの父親が牧師だったヌエネンの教会を描いています。この作品はゴッホが両親に贈った最初の絵でした。この作品は、何年も行方不明でしたが、2016年に発見されました。
深刻な損傷がありましたが、修復作業により、絵画が美術館に戻ってきました。---ゴッホ美術館の解説より。

なお、ゴッホ美術館のホームページでは、その修復作業のビデオを見ることができます。


【野菜と果物のある静物】
野菜と果物のある静物vangoghmuseum-s0070V1962-800
Still Life with Vegetables and Fruit、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1884年秋
キャンバスに油彩、32.3 cm x 43.2 cm
F-numberF0103、JH-numberJH0928、Object numbers0070V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)


【女性の顔】
女性の顔vangoghmuseum-s0072V1962-800
Head of a Woman、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1884年11月-1885年1月
キャンバスに油彩、42.0 cm x 33.3 cm
F-numberF0156、JH-numberJH0569、Object numbers0072V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ヌエネン時代は、人物画の画家になりたいと、人物の油絵やスケッチを相当量を制作してる。いづれも農場労働者の厳しい生活をテーマとしている。(美術史上当時は、人物画は、風景画や静物画などよりも難易度が高くより高級なものと考えられていた)


【女性の顔(ペン)】
女性の顔(ペン)vangoghmuseum-d0271V1969r-800
Head of a Woman、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1884年12月-1885年1月
ペンとブラシとインク、紙の上、12.4 cm x 7.9 cm
F-numberF1150r、JH-numberJH0575、Object numberd0271V1969r
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)


【若い男の顔】
若い男の顔vangoghmuseum-d0368V1962-800
Head of a Young Man、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1884年12月-1885年5月
紙に鉛筆、34.7 cm x 21.6 cm
F-numberF1145、JH-numberJH0581、Object numberd0368V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)


【棒を持つ手(デッサン)】
棒をもつて手(デッサン)vangoghmuseum-d0390V1962v-800
Hands with a Stick、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1884年12月-1885年5月
紙にチョーク、34.7 cm x 42.4 cm
F-numberF1168v、JH-numberJH0664、Object numberd0390V1962v
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)


【両手と両腕(デッサン)】
両手両腕vangoghmuseum-d0392V1962-800
Two Hands and Two Arms、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1884年12月-1885年5月
紙にチョーク、21.3 cm x 34.5 cm
F-numberF1155、JH-numberJH0744、Object numberd0392V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)


【女性の顔】
女性の顔vangoghmuseum-d0362V1962-800
Head of a Woman、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1884年12月-1885年5月
紙にチョーク、40.2 cm x 33.3 cm
F-numberF1182、JH-numberJH0590、Object numberd0362V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

この農民の表情はなんと素晴らしいか。ゴッホ美術館の解説にあるように、「原始的」で洗練されていない田舎の生活を大切にし、彼らに勤勉と貧困を伝える鋭い顔を描いた。とある。


【頭巾をかぶった女性】
頭巾をかぶった女性vangoghmuseum-d0267V1971-800
Head of a Woman、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1884年12月-1885年1月
鉛筆、ペン、ブラシ、インク、紙、15.8 cm x 10.4 cm
F-numberF1171、JH-numberJH0570、Object numberd0267V1971
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)



1885年:ヌエネン。代表作の一つ「ジャガイモを食べる人々」を制作する


【喪服のショールをかぶった女性】
喪服のショールをかぶった女性vangoghmuseum-s0058V1962-800
Woman with a Mourning Shawl、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1885年3月-5月
キャンバスに油彩、45.5 cm x 33.0 cm
F-numberF0161、JH-numberJH0788、Object numbers0058V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)


【ジャガイモを食べる人々】
ジャガイモを食べる人々vangoghmuseum-s0005V1962-800
The Potato Eaters、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1885年4月-5月
キャンバスに油彩、82 cm x 114 cm
F-numberF0082、JH-numberJH0764、Object numbers0005V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホの最も有名な作品の1つ。農民の素朴な表情、ゴツゴツした手。暗いランプの元、ジャガイモとコーヒーだけの粗末な食事。ゴッホが伝えたい、貧困と勤勉、そして労働の喜びが見事に伝わってくる。しかし、当時は、画面は非常に暗くデッサンや画法的に問題が多いと、かなりの批判を浴びた。珍しい事に最大の理解者テオも苦言を呈した、とある。


【ジャガイモを掘り出す女性】
ジャガイモを掘り出す女性vangoghmuseum-s0452S1995-800
Woman Lifting Potatoes、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1885年7-8月
パネルのキャンバスに油彩、41.8 cm x 32.5 cm
F-numberF0147、JH-numberJH0891、Object numbers0452S1995
CreditsVan Gogh Museum, Amsterdam (bequest of Dr. M. Rehfisch)


【真鍮の釜と水差しのある静物】
真鍮の大釜と水差しの静物vangoghmuseum-s0052V1962-800
Still Life with Brass Cauldron and Jug、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1885年9月
キャンバスに油彩、65.5 cm x 80.5 cm
F-numberF0051、JH-numberJH0925、Object numbers0052V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)


【陶器と瓶のある静物】
陶器と瓶のある静物vangoghmuseum-s0138V1962-800
Still Life with Earthenware and Bottles、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1885年9月-10月
キャンバスに油彩、40.1 cm x 56.3 cm
F-numberF0053、JH-numberJH0538、Object numbers0138V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

この静物は、おそらくゴッホの家庭で使用されていた日常の小物で構成されています。 1885年、ゴッホは両親とヌエネンで暮らし、そこでこの絵を描きました。X線画像調査で、この絵の下に、女性を描いていたことが分かりました。この静物画の背景は、3本の瓶とほぼ同じ色です。 ゴッホは白い絵の具を使用して、瓶に軽いアクセントを加えました。 これにより、背景から目立つようになりました。 ---ゴッホ美術館の解説より。


【ジャガイモのかご】
ジャガイモのかごvangoghmuseum-s0153V1962-800
Basket of Potatoes、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1885年9月
キャンバスに油彩、45.0 cm x 60.5 cm
F-numberF0100、JH-numberJH0931、Object numbers0153V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

恐らく50個以上のジャガイモ。単一な色彩のなかで見るものを飽きさせないのは何故だろう。


【聖書のある静物】
聖書のある静物vangoghmuseum-s0008V1962-800
Still Life with Bible、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、ヌエネン、1885年10月
キャンバスに油彩、65.7 cm x 78.5 cm
F-numberF0117、JH-numberJH0946、Object numbers0008V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

この大きな聖書は、プロテスタントの牧師であるゴッホの父親のものでした。 ゴッホは父親が亡くなった直後にそれを描きました。 彼はエミール・ゾラの「生きる歓び」の本をその隣に置いています。 その本は現代生活にとって一種の「聖書」でした。 この本は、ゴッホと彼の父親の世界観を象徴しています。 ---ゴッホ美術館の解説より。


【アムステルダムのDe Ruijterkade】
アムステルダムのルイターカデvangoghmuseum-s0085V1962-800
The De Ruijterkade in Amsterdam、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、アムステルダム、1885年10月
パネルに油彩、20.5 cm x 27.1 cm
F-numberF0211、JH-numberJH0973、Object numbers0085V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)




 1885年11月、ゴッホはベルギーのアントワープに移り、美術館や教会を訪れている。また、フェルナン・コルモンの画塾で静物画や石膏デッサンをしている。この画塾には、ロートレック、スーチン、藤島武二なども通っている。
この頃から、ゴッホの手紙に頻繁にでてくる、アブサン(ニガヨモギを原料とするリキュール)を飲むようになる。

アントワープからパリへ
 1886年2月末にはパリ(弟テオの部屋)に移り住んだ。パリではジャポネズリー、点描画などの影響を受け、働く農夫の代わりに明るい都会風なモチーフ(カフェや大通り、セーヌ川沿いの風景、花の静物画など)を描くようになる。色彩もタッチも軽やかになっている。パリ時代では、補色(例:赤と緑、黄色と紫など)を隣に置き、色彩を強調したり、点描のように、色をできるだけ混ぜないで、隣に置き光による混合、加算混合を多く試し、研究している。ゴッホ美術館の出口付近に毛糸玉の入った箱が展示されているが、これは、毛糸の色を組み合わせて、その効果を研究したものだ。
 また、この頃、多くの浮世絵を購入し、強い輪郭、大胆な構図、色のコントラストなどの影響も受けている。
画家たちとの交流関係では、ベルナール、ロートレック、ゴーギャンでありこの影響も忘れてならない。なお、この年、最終回となる第8回の印象派展がパリで開かれている。


【石切場のあるモンマルトルの丘】
石切り場のあるモンマルトルの丘vangoghmuseum-s0012V1962-800
The Hill of Montmartre with Stone Quarry、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1886年6月-7月
キャンバスに油彩、56.3 cm x 62.6 cm
F-numberF0230、JH-numberJH1177、Object numbers0012V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

モンマルトルは、画家が多く住んでいたことで有名だが、ゴッホの時代にはすでにそうであった。


【自画像(パイプをくわえたもの)】
自画像(パイプをくわえたもの)vangoghmuseum-s0158V1962-800
Self-Portrait with Pipe、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1886年9月-11月
キャンバスに油彩、46.0 cm x 38.0 cm
F-numberF0180、JH-numberJH1194、Object numbers0158V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホは多数の自画像を描いており、パリだけでも20作以上ありました。肖像画芸術を極めるには自画像を制作することだと考えました。表情、色、形をさまざまにして実験しました。パリで、ゴッホはアドルフ・モンティセリ(1824-1886)の作品を見て、この画家をその豊かな色彩と濃厚なマチエールを賞賛しました。この自画像では、ゴッホは色と光の効果に対するモンティセリの画法を試しました。彼の顔の淡い色調は、暖かくて濃い赤の背景に対してはっきりと目立っています。---ゴッホ美術館の解説より。


【1足の靴】
一足の靴vangoghmuseum-s0011V1962-800
Shoes、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1886年9月-11月
キャンバスに油彩、38.1 cm x 45.3 cm
F-numberF0255、JH-numberJH1124、Object numbers0011V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

高校時代この絵と同じような革靴の油絵を描いたことがあった。絵の具を盛り上げ、ゴッホの作品のような革の質感をだそうとしたが、やりすぎて野獣派の作品になってしまったのを昨日のように思い出す。



1887年:パリ



【アゴスティーナ・セガトーリの肖像】
アゴスティーナの肖像vangoghmuseum-s0093V1962-800
Portrait of Agostina Segatori、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1887年1月-2月
キャンバスに油彩、27.2 cm x 22.0 cm
F-numberF0215b、JH-numberJH1205、Object numbers0093V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

セガトーリは、1841年頃イタリアで生まれ、ナポリで生活していたが、1860年頃までにパリに移った。ここで、ジャン=レオン・ジェローム、ジャン=バティスト・カミーユ・コロー、エドゥアール・マネといった著名な画家のモデルとなっている。パトロンを見つけ、1885年にカフェ・タンブランを開業した。ゴッホは、この店をよく訪れ、自分の作品を持って行って店内に展示してもらったこともある。一時はセガトーリと交際関係にあったとも言われるが、確実なことは分かっていない。  ---Wikipediaより。


【クロッカスのかごのある静物】
クロッカスのかごのある静物vangoghmuseum-s0179V1962-800
Basket of Crocus Bulbs、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1887年1-2月
キャンバスに油彩、32.5 cm x 41.2 cm
F-numberF0334、JH-numberJH1228、Object numbers0179V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)


【カフェで:ル・タンブランのアゴスティーナ・セガトーリ】
カフェタンブランの女vangoghmuseum-s0017V1962-800
In the Cafe: Agostina Segatori in Le Tambourin、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1887年1月から3月
キャンバスに油彩、55.5 cm x 47 cm
F-numberF0370、JH-numberJH1208、Object numbers0017V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

アゴスティーナ・セガトーリは、カフェ・ル・タンブランのオーナーでした。彼女はゴッホと一時、交際関係を持っていました。テーブルの上にビールのグラスがあり、アゴスティーナは火のついたタバコを持っています。テーブルの上のグラスの下にある受け皿は、彼女が2番目のビールを飲んでいるという事実を物語っています。カフェでの飲酒と喫煙は、淑女には適していません。その生き方は芸術的なタイプと売春婦に見られます。ゴッホはカフェで展覧会を開催しています。また、カフェで日本の版画のコレクションを販売していました。この肖像画の背景には日本の版画が見られます。彼は展覧会の間にアゴスティーナを描いたかもしれません。 ---ゴッホ美術館の解説より。


【クリシー大通り】
クリシー大通vangoghmuseum-s0094V1962-800
Boulevard de Clichy、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1887年3月-4月
キャンバスに油彩、46 cm x 55.5 cm
F-numberF0292、JH-numberJH1219、Object numbers0094V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

クリシー通りは、多くの画家が住んでいたモンマルトルの主要な通りの1つです。ゴッホは、しばしば交差する道路の街路を描きました。テオと一緒に住んでいたルー・レピックは、この近くです。
パリ時代のゴッホは当時の最新の芸術運動である印象派と点描に触れました。これにより、徐々に明るい色を使用するようになりました。彼はまた、さまざまな絵画技法を試しました。様々なタッチが並んでいる彼の筆使いは、これらの芸術運動の影響を示しています。同じ絵の中で、彼はペインティングオイルで薄めた絵の具も試しました。 ---ゴッホ美術館の解説より。


【花開いたクリの木】
花開いたくりの木vangoghmuseum-s0126V1962-800
Horse Chestnut Tree in Blossom、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1887年5月
キャンバスに油彩、55.8 cm x 46.5 cm
F-numberF0270a、JH-numberJH1272、Object numbers0126V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)


【アニエールのボワイエ・ダルジョンソン公園のカップルたち】
公園の恋人達vangoghmuseum-s0019V1962-800
Garden with Courting Couples: Square Saint-Pierre、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1887年5月
キャンバスに油彩、75.0 cm x 113.0 cm
F-numberF0314、JH-numberJH1258、Object numbers0019V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

パリへ来て、都会らしいモチーフを明るい色調で描く変化がでてくる。短いタッチと色彩の選択で、晴れやかな春の日の効果を作りだすのに成功している。


【リンゴのある静物】
りんごの静物vangoghmuseum-s0131V1962-800
Apples、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1887年9月-10月
キャンバスに油彩、45.7 cm x 60.4 cm
F-numberF0254、JH-numberJH1342、Object numbers0131V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

リンゴと背景が、暖色系の黄色、オレンジ、赤、ピンク、寒色系の緑と青とで見事に混ざり合い、統一されている。短いタッチが画面にムーブマンを与えより奥深いものにしている。


【灰色のフェルト帽子の自画像】
灰色のフェルト帽子の自画像vangoghmuseum-s0016V1962-800
Self-Portrait with Grey Felt Hat、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1887年9月-10月
キャンバスに油彩、44.5 cm x 37.2 cm
F-numberF0344、JH-numberJH1353、Object numbers0016V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホは、1887年から88年の冬の2年近くパリに滞在していたときに、この自画像を描きました。彼が点描の技術を研究し、それを彼自身の独自の方法で行ったことは、この作品から明らかです。彼はさまざまな方向に絵の具の短い縞を置きました。それらが彼の頭の輪郭をたどるところで、一種の光輪を形成します。この絵は、ゴッホのパリで最も大胆な色の実験の1つでもあります。彼は、長いタッチを使用して、補色を互いに並べて配置しました。
背景の青とオレンジ、ひげと目の赤と緑。色は互いに強め合います。赤色の顔料は退色しているため、紫色は青色になり、黄色とのコントラストが弱くなっています。 ---ゴッホ美術館の解説より。


【ジャポネズリー:梅の開花(広重を模して)】

広重開花梅園vangoghmuseum-s0115V1962-800
Flowering Plum Orchard (after Hiroshige)、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1887年10月-11月
キャンバスに油彩、55.6 cm x 46.8 cm
F-numberF0371、JH-numberJH1296、Object numbers0115V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホは日本の版画からも強い影響を受けた。オランダ時代も複製をもっていたようで、パリでは多く購入した。パリでの点描の技法とは異なり、日本の版画では、色面の平面構成で大胆な構図を取得した。この絵は歌川広重の亀戸の梅園を模したものだが、ほかにも多数ある。


【画家としての自画像】
画家としての自画像vangoghmuseum-s0022V1962-800
Self-Portrait as a Painter、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、パリ、1887年12月-1888年2月
キャンバスに油彩、65.1 cm x 50 cm
F-numberF0522、JH-numberJH1356、Object numbers0022V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホは、明るい、ほとんど混ぜ合わせていない色で描く、新しい画法を確立しました。絵のパレットには、補色のペアである赤/緑、黄/紫、青/オレンジがあります。ゴッホがこの絵に使用した色です。彼はこれらのペアを横に並べて互いに強めました。たとえば、スモックの青とひげの赤褐色です。画家としての自画像は、ゴッホがパリで制作した最後の作品でした。 ---ゴッホ美術館の解説より。



1888年:【アルル時代】明るい空を求めて

 日本の浮世絵に見るように、明るい陽射しを求めて、1888年2月、南フランスのアルルに来た。
モチーフは、リンゴ、プラム、梨、桃などの花咲く果樹園、跳ね橋など。漁船を描くために、海岸まで旅行にでている。風景画では、「黄色い家」をはじめ、モンマジュールの丘や麦畑など、熱心に描いている。
「画家達の共同生活・制作」を夢見て、8月には部屋を絵で飾るため『ひまわり』を4作制作している。そして、10月にゴーギャンがアルルに到着し、共同生活が始まる。ドラクロワ、レンブラントの絵画につて議論している。しかし、ゴーギャンはゴッホに「絵画はモチーフを見ても良いが、現実のものだに目を向けず、想像力に訴えるべきだと」と言って衝突する。
制作姿勢が異なり、激しい議論を繰り返し、精神的に緊張状態だったゴッホは、「耳切り事件」を起こし、アルル市立病院に収容される。
その後容態は改善に向かいサン=レミの療養所に移る。


【グラスに入れた花咲くアーモンドの枝】
アーモンドの小枝vangoghmuseum-s0184V1962-800
Sprig of Flowering Almond in a Glass、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、アルル、1888年3月
キャンバスに油彩、24.5 cm x 19.5 cm
F-numberF0392、JH-numberJH1361、Object numbers0184V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

アルルに来た直後の絵です。このあと果樹園のアーモンド、モモ、プラム、ナシの木の絵画シリーズが始まります。


【アルルの跳ね橋(アルルのラングロワ橋と運河沿いの道)】
アルルの跳ね橋vangoghmuseum-s0027V1962-800
The Langlois Bridge、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、アルル、1888年3月
キャンバスに油彩、59.6 cm x 73.6 cm
F-numberF0400、JH-numberJH1371、Object numbers0027V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

跳ね橋はアルルで主要なモチーフ。この絵では洗濯をする者はいないが、ヌエネン時代の農夫を描くように、庶民生活の一部を写し取りたかったのだろうか。あるいは、故郷のオランダの運河の郷愁があったのだろうか。


【クロー平野の収穫、背景にモンマジュール】
クロー平野の収穫vangoghmuseum-s0030V1962-800
The Harvest、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、アルル、1888年6月
キャンバスに油彩、73.4 cm x 91.8 cm
F-numberF0412、JH-numberJH1440、Object numbers0030V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

南フランスのアルル周辺の平坦な風景のこの絵画では、乾燥と暑さを感じることができます。ゴッホは、夏の日の雰囲気をとらえるために、青い空と、黄色と緑色の色調を組み合わせて平地を描きました。彼は炎天下で何日もトウモロコシ畑で制作しました。非常に精力的な時期であり、彼はわずか1週間で10枚の絵画を完成させました。ゴッホは農民の生活を見て、土地で働く姿を描きたかった。労働と収穫、これは彼の芸術のテーマでもありました。 ---ゴッホ美術館の解説より。


【サント=マリーの浜辺の釣り船】
浜辺の釣り船vangoghmuseum-s0028V1962-800
Fishing Boats on the Beach at Les Saintes-Maries-de-la-Mer、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、アルル、1888年6月
キャンバスに油彩、65 cm x 81.5 cm
F-numberF0413、JH-numberJH1460、Object numbers0028V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

これらの漁師のボートがわずかに非現実的に見える理由がお分りになりますか?砂浜の不規則な表面と比較して、ボートは過度に二次元的な方法で描かれています。強い輪郭の中で均一な色で塗られ、さらに、ボートはビーチに影を落としません。これらの画法は、ゴッホの日本版画コレクションに見られます。ゴッホはこの絵を浜辺で制作したかったのですが、漁師は毎朝非常に早く海に出てしまうため出来ませんでした。ゴッホはそこでボートと砂浜を別々に描き、後に自宅でこの絵を完成させました。 ---ゴッホ美術館の解説より。


【ズアーブ兵(半身)】
ズアーブ兵vangoghmuseum-s0067V1962-800
The Zouave、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、アルル、1888年6月
キャンバスに油彩、65.8 cm x 55.7 cm
F-numberF0423、JH-numberJH1486、Object numbers0067V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

力強い色彩で確固とした人物像を描いた。


【黄色い家】
黄色い家vangoghmuseum-s0032V1962-800
The Yellow House (The Street)、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、アルル、1888年9月
キャンバスに油彩、72 cm x 91.5 cm
F-numberF0464、JH-numberJH1589、Object numbers0032V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホはアルルのラマルティーヌ広場に面した家を借りた。同じ志を持つ画家が一緒に住み、制作する理想郷の黄色い家だ。だが、ゴーギャンとは考え方が異なり決別することになる。しかし、ゴッホにとっては、個人的なことは別として、芸術的な面ではかえって良かったと言える。同居時の制作はゴッホらしくなく駄作も目立つ。決別後ゴッホらしいものを取り戻すことになる。


【ファン・ゴッホの寝室】
寝室vangoghmuseum-s0047V1962-800
The Bedroom、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、アルル、1888年10月
キャンバスに油彩、72.4 cm x 91.3 cm
F-numberF0482、JH-numberJH1608、Object numbers0047V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホは黄色い家の寝室の絵を描きました。彼は部屋に簡素な家具と壁に自分の作品を用意しました。明るい色は、絶対的な「安らぎ」または「眠り」を表現するためのものでした。研究によると、今日の作品に見られる強く対照的な色は、長年にわたる変色の結果です。たとえば、壁やドアは元々青ではなく紫色でした。一方、後の壁は明らかに奇妙な角度になっています。でも、ゴッホのにとっては間違いではありません。これは意図的な選択でした。ヴィンセントはテオに手紙で、絵が日本の版画のように意図的に内部を「平らに」し、影を省いたと語っています。 ---ゴッホ美術館の解説より。


【種まく人】
種まく人vangoghmuseum-s0029V1962-800
The Sower、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、アルル、1888年11月
キャンバスに油彩、32.5 cm x 40.3 cm
F-numberF0451、JH-numberJH1629、Object numbers0029V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホは、種をまく人に特別な関心を持っていました。彼はこのテーマで30を超える絵画を作成しました。制作年は1888年の秋です。当時、ゴッホはポール・ゴーギャン(1848-1903)と一緒に制作しており、ゴーギャンは、ゴッホは現実のものだに目を向けず、想像力に訴えるべきだと言っていました。
ここでは、ゴッホは感情と情熱を表現するための色を使用しています。彼は主役を空の緑がかった黄色と大地の紫に割り当てました。明るい黄色の太陽は光輪のように見え、種まきを聖人に変えます。
---ゴッホ美術館の解説より。
構図は日本の版画を模した大胆なもので、色面での構成や画面中央の樹木の配置。また幹の表現の平面に塗りつぶされている。


【ゴーギャンの肘掛け椅子】
ゴーギャンのひじ掛け椅子vangoghmuseum-s0048V1962-800
Gauguin's Chair、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、アルル、1888年11月
キャンバスに油彩、90.5 cm x 72.7 cm
F-numberF0499、JH-numberJH1636、Object numbers0048V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ポール・ゴーギャンの椅子は肘掛があり立派なものに対して、ゴッホの椅子は粗末な椅子を描いている。ゴーギャンに対する尊敬の念を感じさせる。


【ひまわり(15本のひまわり)】
ひまわりvangoghmuseum-s0031V1962-800
Sunflowers、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、アルル、1889年1月
キャンバスに油彩、95 cm x 73 cm
F-numberF0458、JH-numberJH1667、Object numbers0031V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ファン・ゴッホの制作した「花瓶に挿された向日葵をモチーフとした油彩の絵画」という定義であれば、7点が制作されたことが広く認められている。このうち6点が現存している。---Wikipediaより。
ゴッホの最も有名な作品の一つ。ゴッホ美術館では、特別コーナーを作って所蔵作品以外も見られるようになっていた。


 サン=レミの療養所で1年間、療養生活を送ったが、その1年で約150の絵画を制作している。
療養所では一室をアトリエとして使用し、庭のアイリス、窓から麦畑や糸杉などを描いている。具合が良くなると、戸外での制作も許され数多くの風景画を描いている。
ゴッホの病状は一進一退で、何度も発作が起き意識不明になっている。
ただアルル時代までのように様々な影響も受けず、ただ一人で独自の画風を確立していったことは、美術史上貴重なものとなった。
この頃制作された「アーモンドの木の枝」は弟テオと妻ジョーに子が誕生し、そのプレゼントとして描かれている。
1890年5月サン=レミの療養所を退所し、オーヴェル=シュル=オワーズに転地した。


【石切場の入口】
採石場への入口vangoghmuseum-s0041V1962-800
Entrance to a Quarry、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、サンレミドプロヴァンス、1889年6月
キャンバスに油彩、60 cm x 74.5 cm
F-numberF0744、JH-numberJH1802、Object numbers0041V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホ独特のうねるようなタッチで描かれ、吸い込まれていくような錯覚を覚える。


【刈る人のいる日の出の麦畑】
刈り人のいる日の出の麦畑vangoghmuseum-s0049V1962-800
Wheatfield with a Reaper、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、サンレミドプロヴァンス、1889年9月
キャンバスに油彩、73.2 cm x 92.7 cm
F-numberF0618、JH-numberJH1773、Object numbers0049V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

サン・ミレの病室からこの壁に囲まれた麦畑を描いた。何か永遠に続く労働のように私は感じる。


【花咲くアーモンドの木の枝】
花咲くアーモンドの木の枝vangoghmuseum-s0176V1962-800
Almond Blossom、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、サンレミドプロヴァンス、1890年2月
キャンバスに油彩、73.3 cm x 92.4 cm
F-numberF0671、JH-numberJH1891、Object numbers0176V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

青い空を背景にしたこのような大きな花の枝は、ゴッホのお気に入りのテーマの1つでした。アーモンドの木は春の早い時期に咲き、新しい生活の象徴になります。ゴッホは、日本の版画から大胆な輪郭、モチーフの構図に触発されました。この絵は、弟のテオと妻のジョーに赤ん坊、フィンセント・ウィレムが生まれ、その贈り物でした。後に、フィンセント・ウィレムは、ゴッホ美術館を設立しました。
---ゴッホ美術館の解説より。



【静物:アイリスのある花瓶、黄色い背景】
アイリスのある花瓶vangoghmuseum-s0050V1962-800
Irises、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、サンレミドプロヴァンス、1890年5月
キャンバスに油彩、92.7 cm x 73.9 cm
F-numberF0678、JH-numberJH1977、Object numbers0050V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホは、サン・レミの療養所でこの静物画を描きました。ゴッホは強力な色のコントラストを実現するために研究をしました。黄色の背景に紫色の花を配置することで、装飾的な画面をさらに際立たせました。アイリスはもともと紫色でしたが、年月を経て、赤色の色素が薄くなり、青色に変わりました。ゴッホはこの花束の絵を2枚制作しています。 ---ゴッホ美術館の解説より。



1890年:【オーヴェル時代】カラスのいる麦畑、荒れ模様の空の麦畑の傑作を残した終焉の地

 1890年5月、ゴッホはパリ近郊のオーヴェル=シュル=オワーズに着き、ポール・ガシェ医師を訪れる。ゴッホとアマチュア画家のガシェ医師はすぐに友達になり、ガシェ医師はゴッホに絵画に集中するように勧めている。ガシェ医師の家を訪れては、絵画や文学の話をしており、ガシェ医師や家族の肖像などをも描いている。
オーヴェル時代の3部作の傑作が誕生する。『荒れ模様の空の麦畑』、『カラスのいる麦畑』、『ドービニーの庭』
そして、7月27日の日曜日の夕方、麦畑に入り、銃で胸を撃ち(自殺を否定する説もある)
その傷がもとで29日午前1時半に死亡した。


【オーヴェルの眺め】
オーヴェルの眺めvangoghmuseum-s0105V1962-800
View of Auvers、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、オーヴェルシュルオワーズ、1890年5月-6月
キャンバスに油彩、50.2 cm x 52.5 cm
F-numberF0799、JH-numberJH2004、Object numbers0105V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

この作品は、パリ近郊のオーヴェル=シュル=オワーズの村の風景です。ゴッホは彼の人生の最後の2か月をそこで過ごしました。ゴッホが画家として制作していた10年間を通して、彼はさまざまな技法を試しました。前景の植物には、丸みを帯びた流れるような筆致を、真ん中の色の付いた屋根の列には、縦縞を使用しました。村の向こうの緑の野原は、ほぼ均一な色のエリアです。空は未完成です。彼は雲の輪郭を青色のいくつかの素早い縞で描いています。 ---ゴッホ美術館の解説より。


【荒れ模様の空の麦畑】
荒れ模様の空の麦畑vangoghmuseum-s0106V1962-800
Wheatfield under Thunderclouds、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、オーヴェル=シュル=オワーズ、1890年7月
キャンバスに油彩、50.4 cm x 101.3 cm
F-numberF0778、JH-numberJH2097、Object numbers0106V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

ゴッホは生涯の最後の数週間で、オーヴェル周辺の麦畑の印象的な絵画を数多く完成させた。「カラスのいる麦畑」とともに最後の傑作だ。


【カラスのいる麦畑】
カラスのいる麦畑vangoghmuseum-s0149V1962-800
Wheatfield with Crows、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、オーヴェル=シュル=オワーズ、1890年7月
キャンバスに油彩、50.5 cm x 103 cm
F-numberF0779、JH-numberJH2117、Object numbers0149V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

カラスと麦畑は、ゴッホの最も有名な絵画の一つです。これは彼の最後の作品であるとよく言われます。恐ろしい空、カラス、行き止まりの道は、近づいてくる彼の人生の終わりを指していると言われています。しかし、それは単なる根強い神話です。実際、彼はこの作品の後に他のいくつかの作品を制作しています。荒れた空の麦畑で、ゴッホは「悲しみ、極端な孤独」を表現したかったが、同時に「田舎がどれほど健康で心が強くなったか」を示したかった。 ---ゴッホ美術館の解説より。


【木の根と幹】
木の根と幹vangoghmuseum-s0195V1962-800
Tree Roots、Vincent van Gogh (1853 - 1890)、オーヴェル=シュル=オワーズ、1890年7月
キャンバスに油彩、50.3 cm x 100.1 cm
F-numberF0816、JH-numberJH2113、Object numbers0195V1962
Credits (obliged to state)Van Gogh Museum, Amsterdam (Vincent van Gogh Foundation)

抽象画を見ているような感覚だ。未完成で、おそらくゴッホの最後の作品と言われている。(死去は1890年7月29日)二重正方形キャンバスで珍しい。

<了>


【ページ内リンク】

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1.はじめに

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3.時代順作品


1871-1880年:画家になる決意をするまで

1881年:【オランダ時代】エッテン、ハーグ、ニーウ・アムステルダム、ヌエネン

1886年:【アントワープ、パリ時代】一気に印象派、ジャポニスムなどを吸収、開花する

1888年:【アルル時代】明るい空を求めて

1889年:【サン・ミレ時代】療養院に入院、絵画制作を続ける

1890年:【オーヴェル時代】カラスのいる麦畑、荒れ模様の空の麦畑の傑作を残した終焉の地



【外部リンク】

クレラー・ミュラー美術館(ゴッホ美術館に次ぐ量の作品が所蔵されている)

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ・ギャラリー(全作品やゴッホの手紙が掲載されている)






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2019年9月30日

母です!次女と一緒に「謎解き」に行きます。お友達が急きょ行けなくなって、わたしがピンチヒッターです。ピンチヒッターになれるの?どうでしょう。
初めてのことなのでサッパリ分かりませんが楽しんできます。

伊東駅前広場
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伊東駅
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指定席券 購入する。

踊り子号の指定席券が券売機で買えると言うので、トライしてみることにしました。券売機の表示に希望する踊り子号が出てきません。
2度、3度やってみましたが、ダメでした。「変だねー。」 
親切な駅員さんが、心配して代わりに券売機をタッチしてくれましたが表示されません。駅員さんはうなずいて、「これは時間が近すぎるせいで、コンピューターが判断して表示されないんです。」
<何のこと?>
11時発の踊り子号を、9時40分に予約できないと言うことです。駅員さんいわく、出発地に遅刻する可能性があるからかもしれない、などのトラブルを回避するためだとか。出発に近い予約は、できないんだ。納得です。お世話になりました。

スーパービュー踊り子号は、全席指定 指定券も少し高め 2040円
IMG_0586

<それなら東京駅の窓口で買えばいいじゃない。>
10時48分に東京駅に着き、ダッシュで窓口に向かいました。結果は同じ、11時発の踊り子号は購入できませんでした。
それでもめげずに、「踊り子号の車内で指定券を買えないの?」とたずねました。 乗車口にスタッフがいて、指定券をチェックするので乗れないとのことです。仕方なく、12時発の踊り子号を2枚購入しました。全席指定の列車ではなく、自由席のある列車にすればこんなに悩ましいことにならなかったのにね。自由席なら特急券は、車内で買えます。

特急踊り子号は、指定券1660円 自由席券1360円
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結局のところ、自由席のある特急踊り子号に乗車しました。指定席に座れたのでホットしました。見渡せば車両はガラガラです。乗客は数えるほどしか乗っていません。
なんかとても贅沢な時間と空間を過ごしているような気分でした。

旅のお供もゲット。辛口の白ワイン。
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13:45 伊東駅着。9月末なのに日差しが強い。遅い昼食をとることになり、駅前の食堂に入りました。

おすすめランチ。
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駅前のバスターミナルから、ホテルのシャトルバスの送迎があります。ランチを食べて涼んでから、ちょうどいい時間です。
バスは、山の中を走ります。小高い山の緑はきれいでした。15分で到着です。ウエルカムシャンパンをのみながらロビーでくつろぎました。格調のあるホテルです。


川奈ホテルのロビー
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チェックインすると、こんな封筒を渡されます。
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挨拶状かな?
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早く封筒を開けてゲームを開始したいものです。はやる心を抑えて、宿泊地でありゲーム地でもあるホテルの様子をお伝えします。

シングルベッド2個
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水回り
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大きなバス 大浴場を使ったので使わず
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コーヒーメーカー、電気ポット、氷サーバー
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窓から見える景色 台風で折れた木
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遠くに海
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初島、伊豆大島が見えるゴルフコース
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封筒を開けて謎解きゲーム開始。午後4時30分。封筒の中に指示があり、その場所に行くといくつも問題が隠されています。
よく文章を読み解く力が必要です。

ここにも問題が隠されているかな?
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一か所にいくつも難題が隠されているので、注意して探すこと。
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図書館にもありそうな雰囲気。どうかな?
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ステキなサンパーラー
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気持のよいサンパーラーでケーキが食べられます。
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ゴルフ場の前が海です。
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伊豆大島がよく見えます。
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初島が見えます。
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伊豆大島の上の赤いまるは日の出です。露天風呂からよく見えるとか。楽しみです。
IMG_0531


2時間も謎解きをしていると、気力も体力もなくなってきます。<疲れた!足が痛い。> 今頃ディナータイムかな、それともゆっくり温泉に浸かってる時間かなと思いをめぐらします。私たちと言えば、問題のシートを片手におやつのチョコレートやおせんべいをほうばって悪戦苦闘しています。
午後7時に夕食をとりました。東京駅で上等なお弁当を買ったので、テーブルに広げて急いで食べました。一口サイズの、謎解きしながらでも食べられそうなマス目に入ったお弁当です。これから佳境に入るので小休止です。
足が痛いと思ったら、7,500歩以上歩いています。「5キロ近く歩いてるね!お母さん頑張ったね。」と、娘からねぎらいの言葉をもらいました。回答の締め切りは、午後9時ジャストです。
あと少しです。終盤に差し掛かると、体験型の問題もあり楽しませてくれました。最後の謎は、部屋に戻りじっくり答えを出します。
「わたしの考えが正しければ、この人が犯人です。」 まるで名探偵コナンのようです。
午後7時50分にホテルのカウンターに答えを提出しました。締め切りより、一時間10分早く終了です。正解は明日の朝、ドアノブにつるしておいてくれるそうです。
終わったね!このホテルの謎解きはサクサク解けるとか。そう言えば、わたしが1問解く間に、娘は9問解いていたのでサクサク感が伝わってきました。娘は、このホテルの系列の謎解きは難しくて制限時間内に解けなかったと言っています。だから少しやさしい問題にしたかもしれないですね。
とにかく温泉に行こう!大浴場に入ろう!疲れた!ふくらはぎが痛い!

窓から見た景色 昼間
IMG_0560

謎解きが終わってしまうと、寂しい気がします。謎解きの後の温泉は、達成感と解放感で最高でした。良質な温泉だったせいか、ふくらはぎの痛みも消えました。
川奈ホテルは、会員制のゴルフ場を持っています。ゴルフを楽しむ人だけでなく、謎解きのようなゲームを楽しむ人の客層を広げています。客室係の方が親切でした。
明日の朝は、露天風呂から朝日を見よう!10月1日午前5時38分に朝日が見られます。

IMG_0531

10月1日 午前5時30分 
露天風呂に行こうとドアを開け、ドアノブをみましたが、謎解きの回答の袋はまだありません。
<まだかな?なんか待ちどうしいね。>

今朝は厚い雲がたっぷりあるので、朝日は見えないかと思っていました。ほとんど予定時刻の5時38分に、厚い雲を押し上げるように真っ赤な太陽が顔を出しはじめました。まぶしくてずっと見ていられないほど真っ赤な朝日です。突然、姿を現すので感動しました。
やがて雲が消え、伊豆大島がくっきり姿をあらわしました。なんて素晴らしい景色なんでしょう!
これだけで大満足です。今日も快晴。暑くなりそうです。

ポカポカにあったまり気分爽快で部屋に向かうと、ドアノブに謎解きの袋がかかっていました。<待ってました!>と言わんばかりに袋を開けました。
「事件解決おめでとう!」の挨拶文と、「解説」が入っていました。解説文を読む限りでは、パーフェクトの回答でした。「正解のご褒美はないの?」とわたしが言うと、娘は笑って「ドリンクをもらうこともあるけど、ないよ。」ですって。
このような質問をしたわたしが的外れでした。謎解きの喜び満足度は、ご褒美の物をもらうことではなかったのです。ご褒美をもらうことを目的としたゲームもありますが。

レストランで朝食。
IMG_0555

IMG_0554

サンパーラーでスイーツを食べました。
IMG_0572

10:30ホテル発 シャトルバスで伊東駅に向かいます。
IMG_0565

帰りは自由席のある踊り子号で、自由席で帰りました。またまた車内はガラガラでした。のんびりゆっくり帰りましょう!



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