2.粉瘤(初期の病名)から尿膜管遺残症へ ~激痛から病名確定までの9日間の苦闘~

欧州旅行の出発日は2019年8月7日。出発日まで3週間前(7/15の痛みから)に発症。病名確定までの9日間の記録。

2019/7/6(土)皮膚科初診 病名「臍炎」
2週間くらい前から、臍から透明な体液が滲み出ていた。臭いがくさく気になっていた。
数日前、親爺たちの呑み会で面白い話もなく、ちょっと、この臍の話をしたところ、「ネットで見ると病院で診察してもらわないとダメみたいだぞ」と言われ、ネットで調べ病院の診察を決心する。痛み、かゆみ、腫れなどなし。
地元の病院、皮膚科初診。20代のイケメン先生。
臍の汚れをピンセットで取り、顕微鏡で見るが、カビは無いとのこと。「臍炎」でしょうとのことで抗菌剤を処方される。
このころより、体液は無色透明から薄茶色になり、臍にガーゼを当てないと下着を汚すようになる。
ガーゼを留める、紙テープが酷く痛み、腫れた。以降、パンツに挟むだけにした。
皮膚は強い方で、肌荒れなどしたことがなかったが、臍のまわりは炎症があり、テープはダメだった。
抗菌薬は臍に垂らし(液体)、綿棒で綺麗にし、さらに垂らした。滲みる。
他のブログにあるように、痛みとか、膿、出血などなどないので、気楽に一日2回、手入れしていた。

2019/7/15(月)祝日。臍中心に突然の強い痛み
朝から臍を中心に強い痛み。臍からの体液は以前と変わりなし。
臍のすぐ上にシコリがあり、押すと強い痛み。臍を中心として皮膚が赤らむ。
痛むので、腹を伸ばせず前かがみで歩く。寝返りも痛く、背中、腰が痛くなるまで、仰向け姿勢で、寝返りは最低限にした。咳、クシャミは最悪。とにかく腹に響かないように、安定した姿勢をとる。
今日は祝日なので、地元の病院は休み。火曜日は皮膚科休診(診療日:月、水、土)
水曜日に総合病院の内科(胆石症の治療)の予約があるので、かこつけて相談してみよう。総合病院の皮膚科に回してくれれば最高なのだが。
地元の病院は胆石の件(前記事)でやや不安。

2019/7/16(火)痛みに堪えて出勤
臍を中心に痛い。腹を伸ばすと痛いので、歩きは前かがみで歩幅が狭くゆっくり歩く。明らかに病人。
会社では、幸いデスクワークなので、楽な姿勢で座っていれば痛くなかった。通勤では痛くてヒヤ汗をかいた。

2019/7/17(水)総合病院の予約日(胆石の治療で、肝・胆・膵内科)
総合病院、肝、胆、膵内科9:00の予約。ただ今日は先週の胆石症に関わる血液検査の結果報告。受付票にも「血液検査結果」とある。なんとか、関係ない臍の話と、あわよくば、この病院皮膚科へ回してもらえばと、医師への説明ストーリーを考える。
結構、神経質というか、関係ない話をするとムカつく医師が多いので、簡潔に肝、胆、膵と結びつけなければならない。緊急性では「歩くのがやっとの強い痛みと発熱」。重大性では「パンパンに腫れ上がっている」。
肝、胆、膵関連では「腹部全体でなにか起こっているのでしょうか?」。現在の治療は「抗菌剤をつけているだけ」、などなど。
本日一番の患者として呼ばれる。入室、開口一番「先生、痛たくて歩くのがやっとなんです」。
続けて、臍の話をはじめたら、やはり制止され、先週の検査の結果から入りましょう。。。と
幸い血液検査の結果は良好ですぐに終わった。
臍の話になったら、「抗生剤飲んでないの?!すぐ抗生剤を飲まなければ」「私から出すからすぐ飲んでいく?」とまで言われた。結果は、「この足ですぐ地元の病院に行きなさい」だ。
残念ながら、「私から連絡するから、すぐ皮膚科に行きなさい」ではなかった。
それは、不幸にも今年の5月末で皮膚科の新患は受け入れ中止とのことだった。常勤の医師不足が理由。1か月半前だ。。。
でも、この総合病院はすごく優秀。胆石の件も全部辻褄の合うストーリーの診断。今回も、地元の病院から持ち込んだCT画像(6/18肝臓の件で紹介状と提供情報のCTを持ち込んだもの)を見て、臍の所にピンポン玉大の袋があることを見て教えてくれた。

同日、総合病院から地元の病院へ 病名「粉瘤」
今日は暑く、臍は痛く、汗だか脂汗だかごっちゃで前かがみで歩幅狭く、のろのろ歩いた。
腹を伸ばすと痛いので腰、背中を丸める。頭部も前に傾くので、顎を上げ歩く、まるで婆さんのようだ。(爺さんか)駅からタクシーはなく、仕方なく歩く。(こういう場合のタクシー代は医療費控除の対象になるんだ、なんてケチなことを思いながら)
地元の病院にたどり着き、受付けを済ませて待合室に座ったのが、11時10分。
胆石の時もそうだったが、異なる医師にかかる場合、毎回、問診票を書かされる。
患者の90%以上は老人。予約なしだから相当待ちを覚悟したが、呼ばれたのは午前の部の最終者で、13時40分。実に2時間半。でも、先生は食事どうしてるのかな?などまだ、私にも余裕が。
こちらは皮膚科だから、ダイレクトに「歩けないくらい痛いのですが」と開口一番。すぐ触診して痛みの範囲を確認していた。臍の裏のピンポン玉大の袋の話はしたが画像は見なかった。
待合室で長時間、することもないまま患者と僅かに聞こえてくる、医師と患者の会話。察するによく話うを聞き、よく説明する先生らしい。
診察を終え、「粉瘤のようなものですね」と診断。抗生剤を7日間を処方。抗生剤を飲み始め、よくならない場合は、原因が細菌でなくカビの可能性があり、この場合、点滴での治療でないとダメとのこと。万一、高熱が出た場合は、救急で、入院施設のある皮膚科にタクシーか救急車で行ってください。との注意もあった。
そう、この病院は皮膚科での入院設備はない。
帰宅後、微熱がでる(37度2分から6分)、薄茶色の膿が出るようになった(ガーゼに直径1センチくらいの円)
ガーゼ交換は2回から4~5回/日になった。
ネットでいろいろ調べた。「臍炎から尿膜管遺残」という個人の方の闘病記録のブログがあった。
どうも、似ている。この方ほど劇症ではないが。。。

2019/7/18(木) 腹が張っている、会社を休んだ
昨晩から微熱があり、今朝、37度4分。腹はパンパンで痛く、熱もあり戦闘意欲ゼロ、会社を休んだ。
終日、よく寝た。長時間のせいか夢を多く見た。帰り道が分からなくなったものや、高い橋の橋脚によじ登るものだったり、ろくなものではなかった。
やはり食欲はなく、うどんのようなものが食べやすかった。
昨日から抗生剤を飲んで、今日は痛みが弱くなっている。抗生剤が効き始めたか?

2019/7/19(金) 鎮痛剤服用して出勤
有休もすくないので、出社した。熱は36度8分。朝にしては高いが仕方ない。
痛みは昨日よりも良い。鎮痛剤服用して出勤した。
幸いデスクワークで動かない状態だと痛みはない。尿管結石や胆石発作の場合は、何におしてもダメだが、今回は痛くない姿勢がある。咳は痛い。深い咳にならないように抑えると、飛沫が鼻の奥に飛び、クシャミになった。クシャミは咳の10倍は痛い。
歩く姿は前かがみで、腹を伸ばさないように歩く。
混雑した駅のコンコースでは、下腹に何かが当たらないように、腕でガード。

2019/7/20(土) 一日中ダウン
微熱もあり、ほぼ一日中寝ていた。あまり食べないせいか、体重がかなり落ちてきた。

2019/7/21(日) 今日もダウン
前日とほぼ同じ。一歩も外に出ていない。
ただ、抗生剤が効いているのか、痛みは少なくなってきた。寝ながらイヤホンで好きな曲が聞けるようになる。
痛む箇所が臍から下のほうに落ちてきているように感じる。痛みは減ったが、この辺が不安。膿の量が若干減った。でも、ここまで調子が悪いのは?粉瘤などの化膿だけなのであろうか?強い疑問が生じる。
このまま抗生剤を一週間飲み、化膿が止まったとしても、それで治ったのだろうか?旅行先で再発しないだろうか?海外旅行保険に入ったが、日本で治療中のものが、海外で悪化した場合、保険は効かない。費用負担は恐ろしい。
臍の周囲の痛みではなく、下腹部の痛み、違和感は何だろう?
再び、「臍炎から尿膜管遺残」という個人の方の闘病記録のブログを読んでみた。関連する病名はすべて調べた。さて、この先どう行動すれば良いのか?やはり大病院が良いが紹介状と初診までの時間を要する。となると難しい。堂々巡りで結論がでない。

2019/7/22(月) 主治医(内科)の定期診察日
出社。今日は胸の病気でお世話にになっている会社近くのクリニックの定期診察日。
痛みは大分良くなった。最大を10とすると2~3。膿が少なくなった。下腹がつれるような感じ。腹を伸ばさないような姿勢のためか、背中の筋肉が痛むようになってきた。平熱。歩くのが大分楽になったが、バンドのバックルが臍にあたり痛い。
主治医の先生は、今は内科だが、経歴を見ると、有名大病院で外科医をしている。胆石、臍炎(粉瘤)の報告と臍の状態、経過の心配事を相談。先生は、皮膚科での粉瘤には疑問を呈した。
「臍は膀胱にも肝臓側にも繋がっていて、膀胱側にも痛みがあれば、単純な粉瘤ではないと思う」、
皮膚科はキャンセルして、外科に行った方がいい。外科で主治医に言われた(皮膚科から外科に移ること)といってください。」とまで、アドバイスを頂く。「尿膜管遺残」の病名がチラついた。

2019/7/23(火) 翌日外科へ、病名「尿膜管遺残症」
午後半休をとって病院へ向かう。梅雨が開けたか、汗びっしょり。歩き方の小俣に前傾姿勢、余分なエネルギーも消費するか。
午後の診察のせいか、それほど込み合ってなく安心した。
いよいよ外科。あらかじめ症状等の経緯をメモした紙を用意。文末には「なお、8月7日から3週間海外旅行を予定しています。」と入れた。あと2週間ちょい。間に合うか?
診察、入室し簡単な経緯を話したあとは、しばらく沈黙。先生は私のメモや、電子カルテをじっと見ていた。こんなに熱心に見るのは珍しいなと思った。
モニターの文字ははっきり見えなかったが、「内科」という文字は分かった。今までの経緯を見ている。CT画像や血液検査の結果のようなものも丹念に見ている。
2、3の問診のあと、寝台で、臍に何か突き刺している感じの簡単な検査をした。
「粉瘤ではなさそうですね。検査しましょう」と言いながら、検査指示のようなものをモニターに打ち込んだいた。
血液検査の検査項目の選択、そして「尿管膜遺残の疑い」という文字が目に飛び込んできた。
推定していた病名が出てきて、なにか安心した。いままで、見当違いばかりだったが、ようやく本命にあたったような安堵感。
CT、血液検査、尿検査。検査後、しばらく時間がたってから診察室に呼ばれた。

尿膜管遺残」というものですね。やっぱ、当りと身を乗り出して、先生の説明聞いた。
CT画像には明確に臍から膀胱に至る管が写っている。しかも全体に太い。説明では、膀胱に繋がっているので、管全体を取り除く手術が必要とのことだったが、旅行のあとの手術でも大丈夫と聞き安心した。
手術は3か所の腹腔鏡手術で、おおむね一週間程度の入院、とのこと。
一連の説明のあと、臍の奥のピンポン玉大の膿を切開し出す手当を受けた。へその周辺を注射で局所麻酔。普段注射程度痛みは何でもないが、一部、かなり痛い部分もあった。麻酔が効けば、切開などは痛みがない。
前回とは異なる抗生剤、胃薬、塗薬が処方され、一週間後に診察予定となった。
なお、傷口はシャワーで綺麗にし、ガーゼの表面が加工されたパットの様なものに抗生剤をぬり、患部にあてるというものだった。
今回の粉瘤→尿膜管遺残の診療科、方針が決定したので、先週来の皮膚科の2つの予約をキャンセル。さっぱりした。

まっ、これで強い痛みが発症した7月15日から、外科での病名確定を受けた7月23日まで9日間の苦闘に一つの休止符が打たれた感じ。
この後も、炎症が静まるまでの手当、そして手術。手術も事前の検査から退院まで。あれこれと盛りだくさんだろう。でも良性の尿膜管の摘出だから、悪性で重篤なものと違い、安心とはいかないけれど、深刻ではない。
受診する医師や受診科によって、発症から病気の特定まで直線的には行かない。
たった、9日間のことだった。だが、2日半会社を休み、4人の医師(主治医のアドバイスを含める)にかかわり、
病名も、臍炎、粉瘤、尿膜管遺残症と3回目でたどり着いた。

なお、尿膜管遺残症の発症率は2%程度、20~30才台の男性に好発するらしい。(当方、65才♂)
常に疑問をもち、探求して素早く行動しないと大変なことになる可能性がある。と教訓を得た。

<了>

1.脂肪肝(初期の病名)から胆石症へ ~激痛から病名確定までの8日間の苦闘~

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